21世紀の契約論
大企業において、定型化された購買活動は実にソフィスティケートされたプロセスが日々展開されているわけだけれども、非定型案件になった途端に、発注プロセスが複雑怪奇化することがある。
契約を巻く、ということがすでに一大プロジェクトと化してしまって、そのあとのことなんか考えられない、なんていう、ちょっとしたブラックジョークみたいなこともある。
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こうした話でふと記憶を探ってみると、確かに、まさに「成果物を契約締結とするプロジェクトの、プロジェクトマネジメント」というテーマで、とあるゼネコン的な企業のPM講座の依頼を受けたことがあった。
当時は、なんなんだそれはと目を白黒させながら対応していたが、今思えば確かに、そういう話はウォーターフォールだアジャイルだということでは扱うことはできないし、いま思うと、自分のところに相談が寄せられたことには、一定の必然性があったのかもしれないと思う。
別の、とあるグローバルメーカーの新規事業開発専門部隊の方々との仕事で、こういう印象的な言葉を聞いたのも、よく覚えている。
「市場や顧客を向いて、アジャイルに新規事業を立ち上げなたいと思っているが、実際は、年がら年中、アジャイルに社内の合意形成を図っている」
笑っちゃいけないし、笑えない話だけど、それが日本経済の中枢部の実態である。
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そうした状況を「スピード感がない」とネガティヴに受け取ると、要するにまぁ、リスクが取れる人がいないうことの証左であり、できる限り多くの人に責任をまぶしあうための儀式なんだ、というふうに見える。
一方で昨日、ある人の話を聞いて、「ガバナンスが効いている」と受け取ることもできるのかな、と、思った。
合意形成重視のマネジメントスタイルは、確かに、誰か特定の人間の独断専行を防止しているというメリットはある。
その意味で、それなりに合理的な仕組みであるようにも、見える。
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極論してしまうと、突出してリーダーシップを発揮できるポジションとは、創業者兼オーナー兼経営者、というもの以外に、そもそも原理的に、存在しない。
米国ならやっぱりアップルとマイクロソフトが金字塔として、あるいは日本発の企業ではソフトバンク、任天堂、楽天、ユニクロを筆頭に、はたまたサイバーエージェントだ、シフトだ、とか、社会に対して変革的なインパクトをもたらしてきた会社は、やっぱり、経営者の顔が浮かぶ。
ただまぁ、うまくいっているうちは良いけれど、人生、山もあれば谷もある。有価証券報告書にも、その体制が最大のリスクだとは書かざるを得ない。老いてしまった果てにニデック社的な話になってしまうと、とても後味が悪い。
後継者問題がうまく解決できた例は、ほとんど見かけることはない。
そう考えると、トヨタやソニー、フジフィルムといった企業群の特異性にも、気付かされる。
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矛盾を乗り越えるためには、やっぱり、不確実性を前提とした価値論と信義論、というものを踏まえたプロセス・コミュニケーション学が、必要なのだろうと思う。
最近の実感としては、その真髄に気づけば、日々の生活は、すごく楽なものになる、と、思っている。
全体に関するすべての可能性を考慮して、いまここ目の前、この瞬間で考えるべき問題を限定し、存在する不確実性に相応しいコミュニケーション(約束)を交わす…という。