0という非存在
完璧な真円というものは、想像の中にしかないものであり、現実に、それをあらしめようと具現化する行為は、真円そのものに復讐されてしまう運命にある。禅をやっている人たちが、常に円相を無造作に描いてきたのは、きっと、そのことを戒めるためだったのだろう。
崩れがあって、初めて完璧なものをその先に見ることができる。