叙述について
特に、小説や映画などの「物語」における「説明機能」について、HUNTER×HUNTERの408話を題材に話してみたい。
https://gyazo.com/e5673e7718d75f9278cb2ae63393ddc5
このくだりを、どのように理解すべきなのだろうか?
A「モレナがボークセンに説明している」
B「作家が読者に(その作品世界の真理のすべてを)解説している」
客観的には、A以上でも、以下でもない。
しかし、Bの意味合いを含まなければ、作品はあまりにも混沌としてしまう。
実際には、ネット上は「B」であることを前提とした「考察」が入り乱れている。
しかし、設定というものは、その場その場の作家のテンションや、場合によっては読者のリテラシや受け止め方にも影響を受ける、可変的なものであるから、この回を手がかりに、微に入り細を穿つ形で論考を重ねるのは、わりと見ていて虚しいところがある。
また、ストーリーのなかで設定を(登場人物の言動や起きている事象を通じて)説明する、ということは、原則的には
C「作家が読者に(その作品世界の真理のうち、いま必要な部分を)解説している」
である。
作品を面白くするためには
C'「作家が読者に(その作品世界の真理のうち、いま必要な部分を、あえてミスリードや誤読可能な余白も残したうえで)解説している」
のスタンスを取る作家ももちろん、存在する。
しかし、この語り方があまりにファジィであったり、一貫性に欠けたりすると、読む楽しみは減衰する。
本作のなかで「嘘を見破る能力」が頻繁に描かれるが、これは、そのことと、大いに関わる話である。
この話は、物語るという行為に必ず共通する話であるが、世界観を恣意的にでっちあげるSFやハイ・ファンタジーの世界では、非常に致命的な問題である。