傷からの修復
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こころの時代 選 生き延びるための物語
哲学研究者・小松原織香
この番組から、修復的司法、という概念があることを知った。
ものすごい概念だと思う。
その凄さを思っていたら、自分も被害者だったのかもしれないと思った。
独立してからの5年間は、なぜ自分が被害を受けなければならなかったのか、を、考えていたのかもしれない。
被害者であることを公言するのは嫌なものである。
加害者を責めたり罰したりしても、何の意味もないことはわかっていたから、とにかく立ち直るしかない、そのためには、稼ぐしかないと思っていた。
では、自分の被った傷の本質とは、なんだったのだろうか。
自分は、誰からどんな被害を受けていたのだろうか?
大人から、嘘をつかれた、ということである。
嘘をつかれて、労働の対価を搾取された、ということである。
嘘には、色んな嘘がある。
いや、というよりも、意図的に悪をなそうとして、つかれる嘘は、むしろ、少ない。むしろ、嘘には、正義や善のための嘘しかない。
悪を自覚してなされる悪とは、自分がそれに手を染めてしまうのは仕方がないことだ、なぜなら、もっと酷いこと自分はすでにされてきたのであって、自分にはこれからそれを取り戻す権利があるのだという「赦しの先取り」が、本人の中にあるものである。
世の中には、もっとタチの悪い嘘がある。
自分は世の中のために良いことをしている、という自意識のなかでなされる、無能な所業である。
利己心に支配されていて、自覚すらもない嘘。
そんなつもりはなかったのに、結果的に嘘になってしまう嘘。
因果のもつれが重なって、突如生成される嘘。
未熟であった自分は、そのストレスを受け止めきれず、周囲に対する次の暴力に転換してしまったこともあった、それをさせられた、ということも負い目や悔い、恨みを残している。
おそらく、ありとあらゆる人間が、嘘の発生装置であり、伝達装置である。
つまり、加害者であり、かつ被害者である。
その無限の連なりを、どこかで終わらせることができるのだろうか。
終わらせられるとしたら、それは何によって始まるのだろうか。
考えるべきことは、そういうことである。