企てを支えるためのプロジェクト論と、納める方法論としてのプロマネ術
おそらく、プロジェクト工学が目指してきたのは、企だてを支えるためのプロジェクト論だったのだと思う。現状に疑問を持ち、あるべき未来を招くために、人は、企てる。限りある知性と能力のもとでは、必ずそれがうまくいくとは限らない。能力を拡張するために、各種の情報管理を行う。それは、難しいことや面倒なことを、扱いやすくするための、つまり、有り体に言えば、不可能を可能にするための、思考の技法である。
ゆえに、独立した当初、「プロマネ研修」を委託されたとき、どこかに胸の痛みがあった。なぜなら、自分が語りたいのは、できるかどうかわからないものに、挑戦するための思想だったから。法的に言えば、プロジェクトマネジメントは、義務である。プロフェッショナルとして、確実に成果物を導く、ということであり、厳密にいえば、そこに挑戦的な文脈があったとしたならば、無責任の謗りを免れない。
極北的に言葉を用いるならば、本来、プロジェクトマネジメント義務とは、受託者にとってはルーチンワーク化されたもの、既知化されたものでなければ、果たされ得ないのである。ゆえに、私には常に言いたいことがあって、時々実際に言ったりもするわけだが、あなたがたがやっているのは、ルーチンワークマネジメントなのですよ、と。しかしまあ、世間はそのあたりを厳密には考えない。