プロジェクトの歩き方「ミスミ」
参照記事
「経営者人材づくり」なくして持続的成長はかなわない
V字回復後の「逆V字」をいかに回避するか
記事の問題意識
カリスマ経営者、名経営者と呼ばれたリーダーが去ると、これまでの成長は止まり、えてして「逆V字」になりがち
前任者の見る目がなかったのか、後任の力量不足だったのか、前任者とは別の色を出したかったのか、サクセッションプランがうまくいかなかったのか、ガバナンス不全だったのか、組織文化の問題なのか、はたまた運が悪かったのか?
修羅場をくぐり抜けてきたベテランリーダーならばわかるはずだが、暗黙知も含めて、その会社における因果律をホリスティックに理解しているため、何をどうすればよいのかが、見えているかどうか、これが非常に大きい
創業経営者や中興の祖ならではの思考回路や行動様式をあらかじめ”移植”しておけば、つまり次世代リーダーの育成を徹底していれば、逆V字をある程度回避できるのではないか
実際、ベストプラクティスが存在する→ミスミグループ本社
https://gyazo.com/12012a992b38bd4c8a9e3c513fc91221
語り手:ミスミグループ本社 代表取締役社長 大野龍隆
1987年、三住商事(現ミスミグループ本社)入社。2002年執行役員、2008年駿河精機(現駿河生産プラットフォーム)代表取締役社長、2013年ミスミグループ本社代表取締役社長、2014年代表取締役社長CEO、2020年2月より代表取締役社長。
ミスミの創業は1963年
創業者の田口さんは、今流に言えば「ゼロ・トゥ・ワン」の人
メーカーの「販売代理業」ではなくお客様の「購買代理業」になるといった、従来の常識を覆すようなコンセプトを打ち出し、実際に現実化させて、独自のポジションを確立
1970年代後半
プレス金型用部品のカタログ販売を日本で最初に開始
販売代理ではなく直販に転換する、特注品ではなく標準品を売る、営業職はいらないなど、田口氏ならではの考え方があった
当時の製造業は、完成品メーカーの力が強く、彼らの論理や慣習が幅を利かせていた
創業期はもっぱらメーカーが製造した金型部品や工具などを販売するのが仕事で、ミスミもメーカーの販売代理店の一つにすぎなかった
田口氏は「本当のお客様は誰なのか」を自問する中で、購買の最終意思決定者は調達部門ではなく金型設計者であることを突き止めた
彼らの最大の関心事は、価格ではなく、設計と部品の入手がスムーズであること
ワンストップショッピングであり、注文して即納・短納期してくれること
このことを理解していたので、周囲の反対や疑念に惑わされることなく、カタログ販売に踏み出した
カタログは金型部品からスタートし、その後は自動機用標準部品やFA用加工部品など、範囲を拡大しながら、着実に業績を伸ばしていった
ミスミがカタログ通販を始めた頃は、値引きが横行しており、価格や納期の交渉が日常的に行われていた
届くまで2~3週間待たされることがざら
1個だけ売ってほしいという声もあり、こうしたニーズに応えることは難しかった
このように手間のかかる商売だったが、ビジネスとして成り立っていたため、わざわざ標準化するという発想はなかった
田口氏はこの世界に標準化を持ち込み、「MTO」(Make to Order)と呼ばれるビジネスモデルをつくり上げた
共通性の高い半製品の在庫を持つ
営業不要のカタログ通販
発注元がカタログを見て、部品の寸法などを指定すると、型番ができ上がり、これを注文すれば完了
カタログのおかげで、多くの部品は図面が不要に
カタログには価格と納期が記載されているので、無益な交渉もなくなった
2~3週間が当たり前だった納期は、世紀が変わる頃には3日にまで短縮された
商流と物流を別ルートに分ける「商物分離」、そしてカタログ通販の前提となる「標準化」が口癖だった
カタログ通販事業では、「オープンポリシー」と呼んでいる水平分業が採用されている
ものづくりの世界は、バリューチェーンの各機能をグループ全体で運営する垂直統合が主流だったが、ミスミはその一部だけを担う、いわゆる「持たざる経営」を実践し、多品種少量生産と短納期を同時に実現させた
受注があって初めて生産するという点では、トヨタ生産方式の一個流しと同じコンセプト
2002年に田口氏から三枝氏にバトンタッチ
当時の協力メーカーの駿河精機(現駿河生産プラットフォーム)を買収
購買代理業から一転、部品業界のSPA(製造小売業)へと転換
中国に本格的に進出することを決断し、社内で「突撃計画」を策定
物流拠点、コールセンター、情報システム、カタログ発刊の準備、現地中国人の採用など
1年足らずで中国事業を立ち上げた
なぜ、そのような戦略転換を行ったのか
台湾、イギリス、シンガポール、香港に拠点を持っていたが、現地に入り込み、日本と同じように事業展開するまでには至っていなかった
次なる成長軌道を描き、日本と同じ成功を他国で再現するには、生産機能を備え、業態転換することが不可欠
そこで浮上したのがM&A
最大の協力メーカーである駿河精機に白羽の矢
ものづくりの力量もさることながら、ベトナム、上海、シカゴに工場を所有していたから
経営統合後、ベトナムや中国の工場は増強され、タイにも工場が新設
グローバル化が進み、事業規模が拡大していくと、当然の帰結として、多品種少量生産のコスト効率が下がる
この問題を解決したのがベトナムの工場
ここを拠点にしてさまざまな半製品を大量生産して規模の経済を働かせることで、低コスト化、裏返せば利益率の向上という果実を得られた
こうして、現在は「ミスミQCTモデル」と呼ぶ、成功モデルの基礎ができた
お客様が必要とする製品を
高品質(quality)・低コスト(cost)・確実短納期(time)で
「創って作って売る」
2008年
大野氏、駿河精機の代表取締役社長に就任
ミッション:短納期をより確固たるものにすべく、製造現場の生産性を改善し、リードタイムをさらに短縮化する仕組みをつくり込むこと(オペレーショナル・エクセレンス)
カタログやECの場合、いつ、どの部品が、どれくらい必要になるのか、注文が入るまではっきりしない
1個の場合もあれば、まとまった数の時もある
しかも、寸法はミクロン単位で指定 商品の種類も数も寸法も変わる
「変種変量」
これに対応し、短納期で届けるというのが、ミスミのビジネスの真骨頂
三枝流の人材育成
そもそも三枝氏自身は、経営者人材を育てたいという思いから、ミスミの社長を引き受けた
若い時分に社長をやらせて、修羅場経験を積ませる
駿河精機の社長に就任してほどなく、三枝氏みずから駿河精機に足を運び、所見をまとめて大野氏に送付
9ページにも及び、たとえば「KPIが実態を反映していない」「改善のでき上がりの姿が見えていない」「目標なき改善活動ではうまくいかない」など、非常に辛辣で、具体的かつ実践的な指摘が並んでいた
ABC(活動基準原価計算)の導入の話
三枝氏以前は、ミスミでは、すべての商品に同じ比率で間接費用を配賦
その結果、粗利益の高い商品=儲かっている商品という、原価計算の落とし穴に陥っていた
ここから抜け出す方法として考案されたのがABC
商品ごとに間接費を正しく反映させた正味の原価を明らかにする
理屈もメリットもよくわかるが、いざ導入してみると、そのためのコストと手間暇、現場の抵抗によって大半の企業で頓挫
三枝が理論を実践できる経営者だったからで、実用上のデメリットも理解したうえで、いかに実践活用するかのコツを教えてくれた
2024年現在:「デジタルものづくり」時代にむけて、約3000社の3000万点強の商品を購入できるECサイト「VONA」(Varia-tion & One-stop by New Alliance)や、オンライン機械部品調達サービス「meivy」等を展開している
「meivy」
ミスミでは、カタログやECでの発注が一般的だが、すべての設計や加工方法を網羅しているわけではない
どうしても図面でやり取りしなければならない「図面品」と呼ばれるものがある
お客様の設計者は通常、必要な部品を3DCADで設計している
図面品の場合、2D図面を作成して発注しなければならない→つまり、図面品はいわゆる特注品
複雑な形状のものも少なくないし、設計者の方がわざわざ図面を作成したにもかかわらず、「この形状は製造できません」と伝えなければならないケースも
しかも、やり取りはファックスが中心で、2D図面の作成から見積もりまで数十時間かかることもざら
meivyは、以上の作業をものの1分で処理してしまいます。具体的には、発注先が部品の3DCADデータをアップロードすると、AIが自動で読み取り、見積もりを出す
受注後は、設計データから加工プログラムを自動生成し、部品が加工される
この一連のサービスがmeivy
見積もりの段階で、製造できるかどうか、その可否について判断し、提示する
1980年代半ばには、すでにmeivyと同様の構想があった
お客様は図面を描かなくても、設計データを送れば、部品が自動で製造できるというシステム
実際に商品化していた
ただし、当時の通信環境は電話回線で、十分な通信速度も得られず、データの伝送に時間がかかっていた
もちろんAIなどないため、見積もりの自動化など不可能で、加工品質にも限界があった
商品化にこぎ着けたものの、使い勝手が悪く、結局頓挫
その後も挑戦したことがあったが、事業化には至らなかった
この構想は、幾度となく失敗している
しかしだからといって、「技術的に難しい」「売れないに決まっている」といった思い込みに振り回されることはミスミではご法度
AIにしても、部品設計の分野での利活用例は稀で、ブラウザーを利用して3DCADデータを処理できるエンジニアは、ミスミにはいなかった
開発ベンダーに依頼するものの、快く受けてくれるところは見つからなかった
そこで、世界各国から人材を集め、開発に取り組むことにした
新しい試みには、反対する人、懐疑的な人が付き物
ミスミには、毎日1枚ずつページをめくるがごとく、地道な努力をコツコツと重ねている人たちもいる
meivyのようなDXプロジェクトは、そういう人たちの気持ちを察すると、おそらく複雑な心境だったのではないか
そういう配慮のほか、meivyのエンジニアたちがいらぬノイズに煩わされず、プロジェクトに集中できるように、開発チームは既存組織とは分けて、さらに本社とは別のオフィスを用意
図面品などの特注品を手掛ける中小の部品加工メーカーの仕事を奪ってしまうのではないか?
けっして競合するものではなく、補完関係にある
meivyにも得手・不得手はあり、不得手な場合には、これまで通り、部品加工メーカーの方々の力を借りることになる
meivyが得意とする変種変量生産は一般的には嫌がられるので、棲み分けも可能
いまのミスミは、かつての時間戦略をそのまま続けているわけではない
源流となる思想はしっかり継承し、さらに発展・進化させる
これまで提供できなかったサービスやオペレーションのさらなる改善など、日々アイデアを出し合い、仮説と検証を重ねている
その中で生まれたのが、従来の逆を行く「長納期低価格」サービス
meivyでFA部品を発注する際、出荷日は1日後から選択できるが、20日後を選択すると30%オフになる
短納期こそミスミの時間戦略のほかならぬ特長であり、実際、継続的改善によって出荷日は最短1日後まで短縮してきた
その一方で、お客様からすると、納期は「ちょうど」が何より望ましいのではないか、という問いも立ててきた
まさにジャスト・イン・タイムで、必要な時に届くのが一番ありがたいと感じていただけるのではないか、と
そんな問題提起から始まった
オペレーショナル・エクセレンスを愚直に追求してきたことで、他社が一朝一夕には追い付けない模倣困難性が築かれている
このように、変化に臨機応変に対応するには、いわゆる「ダイナミックケイパビリティ」の涵養が不可欠
世の中は時々刻々と変化している
お客様自身も変化している
三枝氏の問題意識から「人づくり」、とりわけ「経営者人材教育」に力を注いできた:座学と実践
座学
「ミスミ戦略スクール」(三枝氏が立ち上げた「戦略講座」がその前身)
当時、彼がみずから塾長となって講義
現在は大野氏も講座を持ち2人で運営
パワーポイントの資料は800ページを超え、受講者は一日がかりで戦略の要諦を学ぶ
実践では、ビジネスプランの作成とその実行
組織のリーダーがビジネスプランを作成
競争相手は誰なのか、成否を左右する要素は何かなど、経営者の目線で戦略を練り上げ、現実に使える思考を鍛える
でき上がったビジネスプランは、経営幹部が審議し、評価が高ければ承認される
その後、実行に移すことになり、概してうまくいかないことが多い
当人にすれば痛みを伴う
こうしたリアルな失敗をして、身をもって学ぶからこそ成長がある
そのほか、「経営フォーラム」も
三枝氏が社長に就任した直後から、経営幹部や社員の戦略思考を強化する仕組みとして実施してきた
社内のプロジェクトや課題について議論する、言わば寺子屋式の場を定期的に開催
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総括
経営変革は、「本当のお客様は誰なのか」を自問することから始まる
考え抜き、確信をもって飛び込む
試行錯誤の結果を、自らの成功モデルの基礎に昇華する
「ダイナミックケイパビリティ」
「お客様が本当に求めているものはなにか」をより深く問う
成功モデルの表層に囚われすぎない
同時に、信じる構想は簡単には捨てない、失敗しても諦めない
暗黙知も含めて、その会社における因果律をホリスティックに理解する
単なる効率化は虚しいものである
このエピソードには、そういう虚しさがない
きっと、買い手、作り手、売り手のフラットな関係を目指しているからではないか