アマとプロ
ぴあでの連載から。
自主映画からプロの現場に行くときの最大の問題はそこなんです。自主映画の場合は基本、作品が評価されるだけで、監督がどんな思想や趣向の持ち主なのかは問われない。作品としてよくできているのか、面白いのか。でも、プロになるということは、人を面白がらせることに興味がもてるのか。面白がらせるというのは、笑わせ泣かせ、感心させ納得させ……いろいろある。エンタメってそうでしょ? そういう変化を受け入れられるのか? 自分の資質を見極めることができればたぶん、プロの現場でやっていける。
── 押井さんはそうなるのに、どれくらい時間がかかったんですか。
押井 タツノコに入って3カ月目かな。3カ月で絵コンテを切ってローテーションに入ったから。演出もやらせてもらい、みんなが面白がってくれたんですよ。
── 3カ月って早いですね。もしかして自分が一番驚いた?
押井 うん。絵コンテも、それまで切ったことないのに切れたから。
職場に入るとお金をもらいながら勉強できるし、お客さんもすでにいる。評価をする人間も上司だけじゃなく同僚もいる。そして、競い合う環境にある。スタジオはどの現場も同じ、教育しているという自覚はなく淘汰している。つまり、ふるいにかけるんです。現場の教育というのは懇切丁寧に教えてくれるんじゃなく、ザルの中にいれてふるいにかけているだけ。だから、残ったのは見どころがあるヤツ。そういう人間に「だったらやってみる?」と言うと、ほぼ必ず成果は出る。
面白いのか面白くないのか。よくできているのか雑なのか。ほころびがあるのかないのか。カットのつながりがスムーズかそうじゃないか。そういうことが問われる。
そういうなかで真っ先に問われるのが、カットを割る才能があるかないか。絵コンテを切れるのはスキルと同時に才能でもある。もって生まれた資質の方が大きいんです。いわば自動翻訳機みたいな感じで、脚本を読みながら映像が頭に浮かぶかどうか。これができない人はダメ。私の経験でいうと、絵コンテ切れる人は最初から切れる。切れない人は最後まで切れない。できる人は映画脳をもっているということ。ケーススタディも大切だけど、やっぱり生まれながらの資質の方が重要なんです。
── 映画脳ですか……。
押井 覚えなきゃいけないことは山ほどあるけど、基本的なことは3年もやれば十分。問題はその知識をどう組み合わせるか。それを覚えるためには一緒に仕事をするのが一番。それもやっても何もくみ取れない人は無駄です。監督というのは、自分のやり方は自分で見つけるしかない部分と、人から盗みまくるという両方が必要なんです。
監督業は教えられない、淘汰するしかない、というのは、自分のやっていることからすると、少し、困る。
育成は可能である、というテーゼでやっているので。
とはいえやはり、根本的な資質が必要とされるのは否定しがたいところはある。
#押井守