傾向入りに意味はない?
大前提として知っておくべきこと
傾向はコミュニティーに反応されている作品の統計データである
もともとの傾向の意味はそれ以上でもそれ以下でもない
傾向に作品が乗るための基準は公開されていない
傾向に載ることは結果であり目的ではない
コミュニティーから多くの反応をされるという目的を達成して初めて傾向に載るという結果が伴ってくる
「傾向に載るという結果」に執着してしまうのは健全ではない
その結果に至るまでの過程をおろそかにしてしまうから
この前程の上で、傾向について最近はこんなことがよく言われてる印象です
傾向はただの統計データであって、ランキングではない
傾向に載ることに価値があるわけでもない
統計的に見てコミュニティーの反応が多いという"だけ"
傾向に作品を載せに行く方法は存在しない
傾向を狙うことはナンセンスだ
「...本当にそう?」
上で書いたことは、活動の健全性やコミュニティーのあるべき姿を真面目に考えれば、全て正しいと言えると思います
ただ...僕はこの考えがいささか真面目すぎるように思ってしまうのです
ふまじめな僕は傾向のことをこう考えています↓
傾向入りは素晴らしい作品であることの証明です。
傾向は決して無価値ではありません。これは間違いなく断言できます。
傾向の基準が公開されていなくても、多くの評価を得られた作品が傾向入りしている事実は変わらない
傾向内の作品の多くがたくさん評価されているのを見れば、このことは否定のしようがないはずです
そして作品がさらに多くの人に見てもらえるという点でも、傾向には価値があると言える
傾向を狙う人の多くはたぶん、傾向入りそのものではなく注目されることを狙っているんじゃないかと思います
作品を傾向入りさせる努力はできます。
当たり前ですが「作品を傾向に載せる方法!」的なモノはありません🤔
...ただし、作品を傾向に載せるための努力はいくらでもできます
「作品の質を上げる」ということは、より多くの人に作品を楽しんでもらえるよう努力することでもある
作品を楽しむ人が増えればその分多くの人に評価され、傾向に載る可能性も上がるはずです
傾向に載りたいという気持ちは尊重されるべきです。
もちろん前提で書いた、「傾向に乗ること自体に執着するのは良くない」のは当然として...
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