カチューシャプロジェクト
私たちは< 華果 - KEQUA - >
歌ってみたという自治空間で
人間陶冶をしています
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作品一覧
< - AGITATION 1 - >
【歌ってみた】
【アジテート・ノーツ】
【その他】
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この企画は、総合表現サークル“P.Name”内の、思想強い、かつ歌ってみたに関心がある2人が「歌ってみたユニット」を組み、好きな歌をカバーするという企画です。そして、自分が歌った歌に関する思想を1,000文字程度の文章に起こし、「アジテート・ノーツ」と名付けて公開します。
ぶっちゃけ、ただただ歌ってみたをやりたかっただけではあります。歌い手ユニットの造形をつくるときに、コンセプトを何にしようということになり、冗談で飛び出した「思想強い感じ」が何の間違いかそのまま採用されてしまい、今に至ります。
唯心論の立場をとるなら、私たちの「私」の本質は精神にのみあり、肉体はいわば、この精神が統治する物理的領土そのものです。そして私たちが運動するとき、領土たる肉体から、私たちは様々なフィードバックを受けます。これに呼応して「私」という精神システムはさらなる命令を出力します。これはD.イーストンのいう政治システムそのものといえるでしょう。私たちは運動をするとき、個人という最小の政治的尺度のなかで高度な政治的駆け引きを繰り広げています。
そんな運動のなかでも、もっとも「自治」らしい営みが「歌」だと思うのです。なにせ、歌詞の解釈は「思想」と切っても切り離せず、自己対自己の政治的議論を避けることができません。そのうえ歌を歌うことは、一人である程度は完結する運動でもあります。ゆえに「歌ってみたという自治領域」です。
今回の企画では、自分が担当した歌について、自分の思うところをアジテーションします。私は政策科学部の人間で、枝は総合心理学部の人間です。この過程を課されることで、私たちは個人という最小の政治的尺度のなかで繰り広げる歌ってみたという自治領域の運動を、大学での学びを踏まえて深化させることになります。ゆえに「人間陶冶」です。
ユニット名<華果 - KEQUA - >の由来は、法華経にある「華果同時」です。歌ってみたという華が咲くのと同時に、私たちの人間陶冶も果実をつけることでしょう。
高僧の如、悟ってしまいたくなどないですがね。悟ってしまったら、この世の全てが無意味になってしまうのでしょう。
この世界が無意味であるという残酷な現実に、歌という、意味の塊、フィクションでもって徹底抗戦していきます。
(「アジテート・ノーツ vol.1|アルジャーノン、忘却とアーキタイプ。あるいは三島由紀夫。【<華果>AGITATION 1】」)
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