第273回「永井均のカント解釈批判/デカルトの神の役割」
1 さかた発表「永井均『『純粋理性批判』を立て直す 1カントの誤診』における、いびつな構造と主体の持続について」
2 あみジロー発表。デカルト再訪
参加者9名。新大阪例会
ふかくさ「さかた発表は永井均の一人称を主軸として哲学に対して批判を加えるものだったが、自己中心性の言えなさに対して不整合だから一元論として修正したいといいつつ、さかた自身の立場は知覚や精神に対して独立に存在する外界の実在を認めるもので二元論的であった。一元論として首尾一貫性を重んじたいという方向性からするとチグハグなように感じてしまった。ふかくさ自身は必ずしも現象や自己中心性の担い手となる主体や能力が一元的である必要はないと直近捉えているが、これは不整合かもしくは永井の哲学とは異なる方向性のようだ。/あみジロー発表はデカルトの精神と物質とを媒介するものとしての神に言及するものだったが、その媒介装置としての神は命題と命題とのつながり、すなわち推論の妥当性を保証するものであって、近現代哲学のように悟性のカテゴリや言語のような装置を提供するものとは異なると感じた」
hiropon さかた発表はハーフ発表の枠に収めるためか説明が少なめだったようだ。端折った説明で難しかった。
あみジロー発表に出てくるレスコギタンスは語法的にかなり異様である。デカルトを読むに当たっての関心の持ちようを与えていただいた。今までどういう関心でデカルトを読んだものか分からなかったので。レスコギタンスを念頭に置きながらこれからは読めばいいわけだ。