第257回「ジャック・ラカンと享楽の代理人」
ウォンバットさんの圧倒的発表。西新宿会場にて。
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ふかくさ ふかくさ.icon「直接的享楽と代理的享楽との対立が言わば言語の内側なのか外側にあるのかというのがひとつの対立で、それが言語超越的享楽と言語内在的享楽だとすると、言語においては代理的享楽が全面化され、超越的享楽はただ、原初の神話として比喩的に語られるばかりとなる。ただ、言語内在的享楽においても、実物の享受と偽物の享受とがあり、それは言語超越的享楽と言語内在的享楽とパラレルに考えてみる妥当性はあるのではないかと思った。なぜならば、実物の享受と偽物の享受との間に差異が生まれ続けるためには、言語超越的享楽Xが常に原因として作用する必要があるからである」
本田 Syun'iti Honda.icon「兄弟が母親の乳房を独占しているのを見つめる子ども。このような、自分にとっての前言語的・根源的な満足である享楽を他者が体現する「代理享楽」をテーマとした発表でした。一見嫉妬や憎しみに結びつきそうな代理享楽について、それが乳房を独占する兄弟からそれを見つめる子どもへ、さらにそれを観察する第三者へと、無意識的な喪失感・欲求の根源としての対象aとして伝播し、主体に「欲望」の持続をもたらす可能性が主張されていました。発表者は、自他の享楽の峻別に関する問題を重視していましたが、それについては課題として残されているようです。前言語的な精神作用を扱う精神分析の理論は、「欲求」「要求」「欲望」といった用語の精確で慎重な使用が重要なのだと痛感しました。」
谷口 谷口一平.icon「討論では、ちょっと具体例で考えすぎて、話がのっぺりしてしまっていたように思う。とはいえ、発表者自身のラカン理解と参加者をすりあわせる過程としては、仕方がない。発表者自身の問題を中心に考えるには、ラカンは道具立てが高度すぎて、はたして適切なのかという問題もありそう」
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