PDA博物館が、博物館である意味
PDAというガジェットは、スモールコンピューター(PC)とスマートフォン(コミュニケーター)という似て非なる進化の延長線上にあったガジェットのスタートラインだったのだと思う。
ソフトウェア、ハードウェア、対応サービスともに、技術的には追いついていない時代に、ハードウェアと一部のソフトウェアだけが、未来のガジェットの形を実現できた、希有な存在だっだ。
だからこそ、当時のマイコンからパソコンへの発展とともに成長してきたユーザーを熱中させることができた。その根底にあったのが、リアルな現在の制限から解放、自由だったのだろう。
PDAによりデスクトップPCや据え置きモニタ前のデスクから解放され、モバイル通信により屋内から解放された世界は、ネットで世界と繋がった現在に通じる開放感があったと思う。
とはいえ、早すぎた特異体は進化の袋小路に陥る通り、PDAもまた。カンブリア記の生物や恐竜たちのように、突然の終焉を迎えたのは、自然の摂理にも似た宿命なのだろう。
PDAは絶命したけど、その遺伝子や進化の枝は、今のスマートフォンやモバイルガジェット達に生きずいている。誰でも使える道具となるためには、ハードウェア、ソフトウェア、サービスの進化に15~20年の歳月が必要だったことは、デジタルプラットフォームの寿命に照らし合わせても整合性がある。
iPhoneとAndroid登場から約10年。
PDAからはじまった、モバイルガジェットのモノとしての進化は完了し、現在のモバイルガジェットの寿命も、あと5年前後と言える時代にきた。
AIが生まれ、通信インフラが世界に整備され、決済の電子化も進行し、音声認識も自動翻訳も、IoTもスタートした。あとは、AR、VR.MRでのディスプレイ革新が起きれば、一気に現在のモバイル(ガジェット)を変える、新時代のガジェットは登場してくるだろう。
PDAで始まった世界は。長い幼少期を経て、これから成人になっていくのだろう。