”はんげつであえたら”と萩原朔太郎
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群馬県とゆきまこってなんの関係性あるのかな~って思って色々調べた結果萩原朔太郎に出会った
萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人、評論家。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。
群馬県東群馬郡北曲輪町(のちの前橋市北曲輪町(現・ 千代田町一丁目))に、開業医の父・密蔵と母・ケイの長子として生まれた。名前の朔太郎は、長男で朔日(ついたち)生まれであることから、命名された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
詩集の代表作は「月に吠える」、「青猫」など。
この詩を一度は目にしたことはないだろうか。
「光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。(以下略)」
萩原朔太郎の代表作「竹」である。
中学の国語の授業で誰もが一度は見たことのある詩であろう。
この詩が収められている詩集「月に吠える」は、日本に口語自由詩を確立させた詩集として知られている。
この詩集が出てきた大正時代まではまだ文語が主流であり、口語自由詩はまだ成熟して居なかったが、白樺派の詩人や高村光太郎、萩原朔太郎らにより近代詩として発展していった。
朔太郎はそんな口語自由詩を世に広めた詩人である。
萩原朔太郎の作品に「月光と海月」という詩がある。
「月光の中を泳ぎいで
むらがるくらげを捉へんとす
手はからだをはなれてのびゆき
しきりに遠きにさしのべらる
もぐさにまつはり
月光の水にひたりて
わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか
つめたくして透きとほるもの流れてやまざるに
たましひは凍えんとし
ふかみにしづみ
溺るるごとくなりて祈りあぐ。
かしこにここにむらがり
さ青にふるへつつ
くらげは月光のなかを泳ぎ出づ。」
この作品は色々不思議な部分があり、彼は海がない群馬県に育ったはずなのに精巧に海の描写を描いているということ、「手はからだをはなれてのびゆき」の言葉遣いなど、様々な憶測が飛び交う。
また、彼の詩のリアリティは詩人である谷川俊太郎さんもこう述べている。
「朔太郎の詩をどんなに否定する人も、それらが絵空事だと感じる人はいないだろうと思う。どんなに荒唐無稽なイメージを画いても、彼の詩には実になまなましいリアリティがあるんだ。彼がとらえていた、と言うよりも、とらえられていた現実は、決してこの現実から切り離されたものではなくて、この現実と地続きの現実だった。」
改めて今回のライブを見てみよう。
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「はんげつであえたら」の画像は海岸にいる真と雪歩。
もちろん、群馬県には画像のような海岸も存在しない。
月光に映し出される真と雪歩。
海月のように透き通るわが身が深みに沈んで行く。
月光の水や海月などとわが身が一体化していく。
この画像では半透明なドレスを着た2人。
2人がであう あなたとであう———。
今回のtwinライブは萩原朔太郎の詩を知るとまたより一層楽しめるかもしれない。
会場となっているベイシア文化ホールの近くには萩原朔太郎記念館や詩碑などがある。
今回の記念に是非行ってみては如何だろうか。
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