Kaigi on Rails 2025に参加してみて
まとまりのない、散文的ななにか、気持ちの整理として
なにかやりたい、そんな気持ちになった
でもそれが具体的に何なのかがわからない、ただもっと手広く吸収したい、そんな気持ち
廊下でkamalの話をされてあまりなんのことなのかピンとこず、流れで話してしまった感がある。
知っていればもっと楽しく話せたのではないか、そもそももっと技術rについて知っていればたくさんの人と話ができたんじゃないかと思っている、もっとそういう話をしたいんだな
ここでいう技術について知っているとはどういうことなんだろう、ただ触ったことがあるはこれに該当しない気がしている、なぜならもっと技術について話し合いたいなら触ったことがある以上の何か違和感や感動を得る必要があると思うから
じゃあそれを得るためにはどうすればいいのだろうか、それが手広く触って上下左右の差分を知ることになるのではないか
最近annotaterbをよく触っているからそこについてのお話をもっとできたらよかったなと思ったけど、そもそも触っている人があまりいない説はある。一方で話ができたのならば、どんな話を自分ができるのかと考えると上辺だけしかできないなと思っている。じゃあもし話せるのならその時にはなにが揃っているのだろうか
困難なものに対して正面から向かい合う姿勢が自分には足りていないんじゃないだろうか、と思っている..
昨日の話で感じたのはみんな正面から困難に向かった上でそれをどう避けるか、どうシンプルにするかという話をしていた気がする、ただ自分はそもそも向き合っていない、できるところに一目散に向かっている気がしている
なのでここで大事なのはグッと踏ん張ることなのではないか? それは複雑なことをしたいというわけではなく、ちゃんと目の前の困難に向き合った上でよりシンプルにという展開を考えている
終わらせることが目標なのではなくて、よりよいものをたくさん試行錯誤して作りたいのかもしれない、ここの耐久力が欲しい
早く終わらせたくてももっと良くできないかと踏ん張る力が欲しい、壁にぶつかってうんうん悩もう、それでいい
そんな力がみんなにはあるなと感じれたのが本当に良かった。
とにかく勇気をもらえた
最近の自分は小綺麗に物事を進めようとばっかしていることに気がついて、違和感を覚えた
もっと泥臭くてもいいし、むしろそうでなければ得れないものがあるんだろうな
個人的にかっこいいなと思えるエンジニアの人がいて、その人はとても愚直にでも軽やかな印象だった。ああなりたいなあ