探求
信念とはあなたが取捨選択し「正しいだろう(would be)」と信じている概念(命題)のこと 信念は何らかの実践における予期、帰結を導かねばならず、そうでないものは信念とはみなさない
信念には応答する証拠や論拠がある、というのはプラグマティストに求められる基本的な規範である
翻せばそうでない信念を都合よく信じることも可能ではあるが、パースは否定している
事実が嘆かわしいものであるに違いないのに、それでもその事実が自分の望むとおりであると信じるような人が、正気の人間であるとは到底考えられない。こうしたことこそ信念の本質の一つであり、このことになしでは信念が信念であることはないだろう (...)
人間とは信念と疑念、探求からなり、再構築を繰り返しながら信念をより改善していくシステムを持つ
雑に言えば、(到達しえないが)究極的には大域的最適解を目指して最適化やってるイメージ
反発的経験に対し十分注意を払った探求の手段としての科学的手法と、プラグマティズムは親和性がある 疑念とは何を実践すればいいのか分からなくなる(自信がなくなる)、という形で信念の働きを妨げるものである デカルト的な方法論的懐疑にはそれはない
信念が単に間違っている可能性がある、というだけではパースの言う疑念の対象にならないことに注意
パースにおいて「可謬的」といったとき、あらゆる信念が将来的に疑念の対象になりえる、という意味
探求とは以下からなる信念を安定させるためのプロセスである
1. 探求者は安定した信念群を所有した定常状態から始まる
信念にも種類がある
経験に裏付けられた信念
作業仮設としての信念
指導観念
その起源がわからなくなっているくらい深く根付いた信念のこと
常識と言われているようなものなど
2. そこから何かの出来事によって疑念が生じる
3. 疑念を解決すべく探求し、信念群を再構築したら1.に戻る
絶対的確実性とは形而上的な意味合いでの確実性であり、現実では得られない
avashe.icon数学的証明も入らないのか?
私見だが、パースは人間が数式を図面上でいじくることを数学の実践と捉えており、その観点では将来的に証明の間違いが指摘されうるので絶対的確実ではないと言える
とはいえ後述の取り消し不可能な信念になるのは速そう
実践的確実性とは次疑うべき理由が生じるまでは確かだと言える、程度の意味
実践的には、ほとんどの信念は現時点において確実であり、全ての信念に疑念を持った状態から始めることはできない
多くの信念を固定してはじめて、少数の信念を可変にして探求の俎上に上げることができる
探求そのものを阻害するという点であらゆるものを懐疑するデカルトに批判的である 統制的想定とはものごとを成立させる基礎的な仮定のこと
探求の統制的想定を設けないと、実証的な事実について何かを知るということが全く不可能になってしまう
私達が探求している事柄について、直面している問いには答えが見つかるだろう、という希望を持つことが探求の統制的想定である
厄介な問いを議論するとき、私たちは、その問いについて何か突き止めることのできる真理があること、そしてその議論が永遠に、目的なく続かないことを希望する。(...)
例えば、以下の事柄は統制的想定に含まれる
任意のPについて、Pは真または偽のいずれかである
私たちの信念とは独立した実在が存在し、私たちの観察結果に対し説明が存在すること
当然だが、統制的想定はそれら仮定が真であることに一切寄与しない
思考することのたった一つの直接的な目的は、物事を理解可能にすることである。そして、思考しつつも、当の思考という行為の中で、何かが理解不能だと考えてしまうことは、自ら麻痺してしまうことだ。それはあたかも、敵から身を守るために拳銃を所持している男が、その敵が非常に強力だと知るやいなや、その敵に殺されるという事態から逃れるために、自分の拳銃で自分自身の脳みそを吹き飛ばすようなことである。絶望は狂気である。(...)それゆえ私たちは、希望の規則によって導かれなければならない(...)。