『ジョジョの奇妙な冒険』における運命論と人生の態度
ここでは私によるジョジョ解釈の中心である運命論的世界観における人生の態度についてまとめておく
avashe.icon私の解釈で重要な5部エピローグについて運命論の立場から 山口 尚 氏が分かりやすくまとめてくださっているのでここから始めるのがよい
avashe.icon前述のpdfから立脚し、私の立場が異なる部分について説明する
ここでは宿命論の同義語として運命論を用いる
前述の論では運命論を適用することで、「客観的に人生は無意味」という前提を設定するが、私は「個々人の運命は定まっているが、当の主体にとって不可知である」ことを重要な前提と見る
本作は「過程」と「結果」のどちらかを重視するか?という会話が頻繁に出てくる
敵、特にボスは結果を重視し、自己または他者の運命に作用する能力を行使する
2部カーズ「勝てばよかろうなのだ」3部DIO「過程や方法なぞどうでもよいのだ」
5部は未来予知(運命の先読み)と不要な結果のスキップ
6部は運命の結果を全人類に悟らせる
7部は国家繁栄のために手段を選ばず、それを正義と宣言する
また、D4Cラブトレインは運命の帰結つまり結果を自分でなく他者に押し付ける能力
8部は特殊で運命そのものの恣意的な操作である
主人公は結果に拘泥せず、過程を重視する
特に5部の警官(黄金の精神)や、7部の「廻り道こそが最短だった」「なんて遠い回り道」(act4覚醒)が明確
いずれも、結果(=宿命の帰結)が運命を生きる主体にとって不可知であることを前提とする
スコリッピは運命論のネタバレを食らう自身の能力により、人生の結果の無意味さに絶望しミスタやブチャラティに警告するが、彼らの態度に感化され、「過程」に意味が残されていると悟る
スコリッピの能力は人生の結果を示し、近いうちに過酷な死を迎える場合その人間を予め安楽死させるもの
これは「運命論的世界観におけるニヒリズム」という一態度が具現化したものであり、作品で示される通り改められる
運命論においては、「結果次第で行動しない」という選択はよりメタに先回りする形で運命に織り込まれている
スコリッピのスタンドで運命の帰結が分かったとき、それによって行動しないならば、運命は予め「スコリッピのスタンドで運命の帰結が分かり行動を起こさない」と決まっている
後出しと言ってもいい、運命論は後出しの結果論である
ブチャラティらの態度である黄金の精神とは、「人生の意味とはその結果ではなく、その過程全体が世界へ及ぼす影響のことだ」とみなし、過程を重要視する態度のことである そうだな・・・わたしは「結果」だけを求めてはいない。「結果」だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ・・・近道した時「真実」を見失うかもしれない。やる気もしだいに失せていく。大切なのは、「真実に向かおうとする意志」だと思っている。
ジョジョ5部「今にも落ちてきそうな空の下で」の警官の台詞
荒木先生が出した明確な回答であり、運命論的世界観において推奨される態度である
運命が不可知であるからこそ、過程を重要視し行動を吟味することが結果的に意味のある人生に繋がる
ここでの意味や価値は既存の社会通念を指さないことに注意
あくまで運命が存在し、客観的にみて人生が無意味だとしても、前述の黄金の精神を定義することによって主観的に人生の意味を確立できるという点が重要であり、細かい価値の多寡や推奨される影響の体系は個々の人間に委ねられている
黄金の精神は希望なき時の希望であるために美しく(美的観念)、美しいために理性とは異なる方法で他者を説得しうる 彼らの苦難が・・・どこかの誰かに希望として伝わっていくような何か大いなる意味となる始まりなのかもしれない・・・
ジョジョ5部最終エピソードにおけるスコリッピの台詞
ブチャラティやミスタは苦難ののち死ぬことが予告されてしまう、そのような希望のない状況にも関わらず彼らが絶望に染まらないことにスコリッピは感化される
「黄金の精神」のミーム性を指摘しているのが重要
黄金の精神の持ち主がその過程で世界へ及ぼす影響とは、物質的なものに留まらない
例えばあなたが何ら社会的地位を得ず、事故によって20歳で早逝するとしても、これまでの人生で生じたあらゆる物質的・精神的バタフライエフェクトがあなたの意味として後出し的に定まる
それを他者が客観的に認知していたり、あなたがはっきり理解しているかどうかは重要でない
このミクロに見ればバタフライエフェクト的な「影響力の伝搬」は釈迦の説明する縁起を連想する 勿論釈迦に言わせれば上記の「意味」とは業なのであり、諸法無我を認識し滅するべき対象である
その気高さは希望や勇気を与えるという形で他者を感化し、伝搬していく
ある理論・思想を選択するとき、それは幾つか所与となる条件を飲まなければならないので、飲むだけの魅力がなければならない。例えば「世界をより簡潔に説明できる」などが一般的だが、人生の方針のような答えのない問題において、時に美しいことが選択理由になる。
黄金の精神は希望なき時の希望であるが故に美しいのだが、これについて私は説明する理屈を今のところ持たない
これを説明できる可能性として、美学(哲学)に興味が湧いている 脇道にそれるが、ブチャラティとミスタが示したような、過酷な死へと帰結する運命を前にしてなお過程を重視し続ける黄金の精神は、反抗 (カミュ)の態度と行動にほぼ重なる ちなみに運命論と関係なくカミュは人生は前提として無意味としている
これは人生を客観的に見た意味合いだと思われる