精神の生態学へ(岩波文庫)
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現象に内在する精神とは? 精神のエコロジーとは? 科学と哲学をつなぐ基底的な知の探究を続けたベイトソンの集大成。その生涯にわたる思索の足取りをたどる。上巻はメタローグ・人類学篇。頭をほぐす父娘の対話から、隠喩と類比を信頼する思考の方法、集団間の緊張を高める「分裂生成」の型とそれを回避する「プラトー」の概念まで。
avashe.icon上巻読了
とりあえずついていけるが他人に説明しようとすると難しい、そんな本
全体を見渡すように書くのは難しいので、一旦理解できる下りを個別に書き出していきたい
ベイトソンは思想が特徴的なので岩波文庫で扱われているが、本人はちゃんと人類学のフィールドワークの学者やってる
研究者としての思想が強いってこと
彼はデータの重要性は当然わかっているが、データから帰納的に命題を取り出しそれで終わりとする態度が嫌いだった
あらゆる科学や学問において、帰納的に浮かび上がってきた命題は、最終的に数学や哲学などの基底となる演繹的な知識体系から理解できるように再解釈されるべきだと考えていた
ベイトソンの言うことの正しさは別途議論されるべきだ。ここで重要なのはベイトソンが研究者かつおもしろ思考・思想おじさんであり、その人が書いた文章を読んでみることは興味深い体験になるということだ。
精神の意味
ここで使われる精神は一般的な定義と異なることに注意
芸術の説明が良かった件
芸術を作るとき、そこには無意識-意識の一連の系全てが描写される。芸術はそういうコミュニケーション様式の媒体だ。なのでそれを鑑賞した人間に非意識・非言語的な感動を伝えることができる。
私は言語的な説明にほぼ還元できてしまうような芸術があまり好きではなかった。特に芸術史を学ぶと現代に近づくにつれ、作者が理論先行で作ったような作品が増えるのだが、それにネガティブな感情を持った。ベイトソンの記述はその感情にうまい説明を与えてくれる。芸術史に反抗することを目的に理詰めで作られた作品は意識上だけで設計されたものであり、人間のほとんどを占めている無意識下が活かされていない(思弁だけがあって、非言語・非論理がそこにない)。そしてそれを鑑賞する側も、意識上で理詰めのパズルを解くような楽しみ方しかできず、直接的に感情が揺さぶられることはない。楽しめるとしても、理論上新しいことをやっていることへの間接的な感動に留まってしまう。
この本を読んで、そりゃリモートワークの言語優位な世界観は摩擦を引き起こすんだなと納得した コミュニケーションにおいては、ボディランゲージや表情、声色、その他微細な五感によって伝わるものが先んじて存在しており、言語というものはそういう生物というアーキテクチャの後期に実装された、高レイヤーの構築物に過ぎない。にもかかわらずそれを忘れてしまい、言語と論理が第一級であり、他は付随物に過ぎないという転倒が起きてしまっている。
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「学習を学習する」とは? 動物が「遊ぶ」意味とは? 関係性の病理とは? 学びの階型構造理解を通じて、コミュニーションとコンテクストの諸形式を分析、精神の病を「個人の心」から解き放つ。中巻は学習理論・精神医学篇。第二次学習やダブルバインドの概念、アルコール依存症のサイバネティクス的観点による解明まで。
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動物のコトバとは? 精神のシステムとは? 世界を「情報=差異」が変換して巡る観念の回路として定式化。進化も文明も環境も心的な相のもとに一望し、人間─社会─生態系を包みこむ壮大なヴィジョンを提示する。下巻は進化論・情報理論・エコロジー篇。イルカのコミュニケーションの分析や、「有機体+環境」「柔軟性の経済」の概念など。