安定した生物相はそもそも存在したのか
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この書籍は、鳥類学者の川上さんが、普段入島が禁止されている、南硫黄島 に上陸し、その調査を行なった事に関するエッセイになっている。 川上さんは、2007年と2017年の二度の調査に参加している。
この書籍の中で個人的に最も面白かった点がある。
それが2007年の調査と2017年の調査での地形の違いと生物の分布の違いである。
2007年の調査では頂上付近に行た種類の海鳥が、2017年の調査では、下部から中腹ふきんまでに、分布を変化させていたのである。
この原因としては、南硫黄島で発生した地滑りの影響が示唆されている。
この地滑りによって木々がなぎたおされ、草原が出き、草原にてきした海鳥が頂上付近で分布を行なっていたという事である。
南硫黄島は人の手が基本的に入らない無人島である。
そして、その無人島では地形は絶えず変化し、生物の分布なども絶えず変化しているのである。
ここで個人的な疑問が産まれた。
人間が介在しなければそもそも安定した地形という物は存在しないのではないか?
という事である。
現在の日本で人の手が全く入っていない場所という物は少ない。
また、川や山などでも事故が起きないように、護岸工事や法面工事が行なわれている。
どんどん、自然が自動的に変化するという事を防ぐように開発を行ない続けてきたのである。
これを踏まえると、そもそも、 人間が観察する以前の世界に安定した生物相という物は存在したのか?という疑問に変化する。
過去の社会経済活動等により損なわれた生態系その他の自然環境を取り戻すこと
という事が生物多様性の基本的な目的地となっている。
つまり、人間の介在によって変ってしまった生物相を取り戻すという事を目的にしている。
しかし、最初の疑問の人間が介在しなければ安定した地形はなく、安定した地形がなければ安定した生物相など存在しない可能性を考えると、この取り戻すの目的地とは一体何になるのだろうか?
人間が地形を安定させたあるSpotでの生物相を目指すという事になるのであろうか?
自然再生を目的とし、あるSpotでの生物相を目指すという事自体が、極めて人間的な自然ではない姿を目指している可能性を考えてしまう。
kimitoboku.iconこのエゴの上で、未来に自然を残す事だったり、自然との共生を目指すのは、エゴの上で悪い事ではないと思っているので、自然再生の方針には賛成であるのであしからず。過去の生物相に戻すという事にや過去の生物相を調べる事に関して少し疑問があるだけである。