パースのプラグマティズム
パースの、と言っているのはプラグマティズムが複数あり、結構意味が違うから
パースのプラグマティズムは歴史的に先行していた観念論でも無ければ経験論でもない
形而上的、あるいは超越論的概念の導入を排して構築されている 経験論との相違
経験論では表象を介しているので真の世界は不可知という立場を取りがちだが、パースは世界に触れるための手段であると考えている
パースは全ての知識の源泉が感官であるという考えも否定している
avashe.iconこれは以下を上手く説明していると思われる
仮説の存在
数学的ないし物理学の分野にて、先に理論的探求を進めてから現実にて実証する近代の逆転現象のこと
プラグマティズムにおける真理
ある言葉や信念と世界内の真理が対応しているという真理の対応説を拒絶する パースによれば信念が真であるのは、その信念が「取り消し不可能」な場合である
その信念が今後永久に疑念が湧かず、あらゆる議論に応答でき、それ以上の更新が無いとき
パースの真理理論において「私たち」という言葉が見られるのは重要である
探求によって真理を探す営為は個々人に留まるものではなく、共同体にとっての関心事だと、少なくともパースは考えていた
探求はあなたの信念やその証拠が、共同体のものと共有されていくことでもある
探求者は厳密に真ではない信念の完成を未来に先送りした主張が可能
存在論ではエレガンスとか美的基準があるが、プラグマティズムではそれらは究極的な目標の手前にある手近な目標として有用と考える
経験と実在
とにかく経験が可謬的であるのは避けられないという論証が引き出せればよい
プラグマティズムは信念から独立した実在が世界に存在すると想定すべきで、これは探求のために必要な想定である
知覚判断(経験)の権威性
経験される知覚判断はすべて可謬的であり解釈を帯びながらも、それらの判断が到来すれば、まずはそのまま受け入れざるをえない
知覚判断はなんの理由らしきものもなしに私達に押し迫ってくるという点で私達に対して権威性を持つ
この強制的な性質は、私達と私達を超越した実在との紐帯なのである
驚きという感情の重要性
自身の信念体系と合致しない論理的状況を指し示しており、信念を新たに調整する機会となる
パースは数学や論理学もまた経験の上に成り立っているとした
経験論の歴史には、数学や論理学的の真理を経験と分離した概念として扱い、論理的に真であれば確定的に真であるとする論者が多数いる
数学者自身の内で数学的概念を観察したり、組み合わせを試してみたり、仮説を想像して自分自身を驚かせるような関係を見出しているとき、内的な(脳内の)実験による探求を行っているのである
「哲学は科学であり、さもなくば戯言」
パースは数学や哲学もまた内的な実験による探求(=経験を基盤に持つ学問である)とみなすことで、諸自然科学と同列のもの、つまり科学として扱おうとしていた
avashe.icon文学的優美さは犠牲になるべきだ、など、分析哲学の萌芽を感じる