1970/02/25[有志ビラ]豊高ベ平連
#有志ビラ
70年2月25日(水)/豊高ベ平連
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教育を我等に! 拒否を! 抵抗を! そして反撃を!     豊高ベ平連
2月24日、卒業式の欺瞞性を告発する中から、当局もしくは自治会の行う『終わりとしての卒業式』を乗り越えた形で我々は『教育解放の闘い』の『出発点としての卒業式』を、私服刑事が校門をうろつく中、総合シンポジウム・市街デモと言う形態で持(ママ)って貫徹した。
先ず最初に、この2月24日卒闘に関して「成功だ!」とか、「失敗だった。」とか語る事は何ら意味を持たないことを確認しておきたい。
あくまでも2月24日は出発点である。
若干の総括
個人個人が主体的に闘いに参加したと言う事を、高く評価したい。
言いかえるならば、感情に走る事なく、情況に流される事がなかったと言う事である。
具体例を上(ママ)げるならば、集会において、激しいヤジがとびかい、雨さえ降っていたにもかかわらず、式をボイコットした3年生を含めて、80名を越える学友諸君が整然とシンポジウムに聞きいっていた。
又、その後、9号教室において、雨を避けてシンポジウムが続けられたのであるが、途中2度にわたる内ゲバさわぎにもかかわらず、教室は120名を越える、数名ではあったけれども、父兄をも含めた学友諸君によってうめつくされた。
そして、その後の豊中市街デモ行進には130名(デモ実調べ)もの学友が、各高校で闘っている学友と共に参加した。
今や『ヘルメット・アレルギー』(感情的反発)は、我々の本質を見抜く眼の前から消えさりつつある。
全ては個人としての、主体的な問題=『自分の問題』となりつつある。
『君はどうするのか?!』と言う問題提起に対して黙殺・無関心をよそおい、『私はこうする!』と言う簡単な主語・述語を持たなかった我々は、今、我々の足で歩き、我々の口で叫び始めたのである。
もはや、我々に“歩み”を止める事は断じて許されない!
闘いは苦しく、長いかも知れないけれども、勝利の日まで闘い抜こう!
全ての闘う学友諸君!
Ⅱ共闘、そして我ベ平連の旗の下に
闘争を開始せよ!
真の教育を我等に!!
行為は誰かの個人的な思想とか感情とか
熱望の奴隷ではない場合の、人間が彼の行為を
自分自身で決定した場合にのみ自由なものである。
★2.24デモ実行委が『セクトとしての結集は禁止』との方針を出したにもかかわらず、
セクト的結集をし、内ゲバの際の武器とすべく竹ざおを持ち込んだ反戦高連の学友諸君。デモ実への参加さえせず、当日において、デモ実の方針を無視する言動を行ない、断(ママ)えず挑発的であった我高(ママ)全闘委系の学友諸君。そして、内ゲバさわぎを阻止出来なかったデモ実の力量不足。
彼等は党派闘争だと語るけれども、党派闘争は最後的に統一の為という前提があるはずである。しかし、昨日において我々はそれを分裂の為の内ゲバとしか見る事は出来なかった。非常に残念である。
真の敵は、その間にも、ますます巨大になりつつある。
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ベ平連の機関紙に関して
ビラではなくパンフレット的な機関紙を発行します。
内容としては 1.情況分析 2.安保シリーズ 3.教育・社会etc に関して 4.個人的アッピール・意見発表・投書 5.各高校の学友よりのアッピールetc を予定。
原稿・投書求む。共に作っていこうではありませんか!(ガリキラー求む)
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