1969/09/01~(2学期の学内状況)
#171
#自治会役員会
役員会二つに分裂
長い夏休みを経て新学期に入り、豊高には何もなかったかのような平和な毎日が続いた。だが、一部の者は、府教委通達に反対する運動をはじめようとしていた。府教委通達とは六八年(この時点では昨年)の九月十八日に大阪府教育委員会から府下の各高校に出されたものであり、六八年秋に全国で初めて新左翼高校生が市岡高校を占拠した事件に対して、高校生の政治活動を制限するためのものである。
この頃、豊高の役員会は二つに分裂し、六月、七月のような積極的な活動を行なっていなかった。その原因としては、一部役員がその立場をも省りみず、糾弾集会を途中で退場し、その後のテストボイコット突入時にも登校しなかったという事があげられる。そのためにテストボイコット闘争をまとめられなくなり、自治会員の意識がばらばらになってしまったのではないかという論争が役員の間でなされていた。また、責任をとって役員会を解散し、新しい組織をつくりなおそうという提案もなされていた。そして結局は、文化祭や体育祭という自治会行事に力を注いで過去のことを清算しようとした役員(彼らは民主青年同盟─民青─として活動を始めていた)と、その他の役員(彼らは全学闘争委員会─全闘委─として活動を始めていた)とに分裂していたのである。
1969/09/01~(2学期の学内状況)
▶ 1969/09/18 府教委通達反対行動
▶ 1969/10/31 文部省、見解を通達
◀ 1969/07/19 -A 終業式/学校側「謝罪と反省」/1969/07/19 -B