1969/07/14 [有志ビラ]#4 豊高生諸君、教職員個々人へ
7月14日(月)/豊高卒業生有志
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豊高生諸君、教職員個々人へ
(共に自らの内に問題を背負う者よりのアピール)
今回自治会の決議にもかかわらず学校当局は試験を強行しようとしています。ここで私達卒業生は在校生の諸君と共に学校側の態度の意味するもの及び試験実施に対して学校側の示した諸理由を今一度考えてみたいと思います。学校当局は今回の試験実施を改革の第一歩であると主張しています。ここで私達は「試験」そのものの持つ本来の意味を考える必要にせまられます。この事に関しては今更に言うまでもないでしょうが、自分達学校内では生徒と教師が共に求め積み重ねたものを再度みずからの内に問いかける事に他なりません。以上の事から考えを進めると、試験を出発点として位置づけるのは誤りであるとの結論に到るでしょう。次にこれらの事を材料に、さらに考えてみると、学校側の生徒の諸君及び私達に対するものは常に非論理的なもののみであったと言えるでしょう。前記の様に今回の試験の内実の変革ということに関しても、ただ私達に対し「信頼感」のみを持ってより訴える物を持たないという事によっても簡単に理解出来るでしょう。さてここでもう一度確認しておかなければならないのはこの試験ボイコットにまで到る問題の発端が未解放部[落]差別であった事です。この問題を起点に問題を押し広げて行く時に常に忘れてはならないのは、学校当局、各教職員個々人、それに私達自身がいかに自分自身の問題として見つめて来たのかという事です。
私達は私達が差別を容認する限り、自分自身をも非人間的差別の中に組み込まれる事を忘れてはなりません。
これらの問題を単に、過去の夢の様に不確かな“信頼関係”によるより他に問題に対し得ない学校側の態度は一体何を意味するのでしょう。学校解体等々でもって、私達に対し、問題を収めようとする学校当局の態度は問題を自己の内でみつめかえす姿勢の全くなかった事を自らバクロしたのに他なりません。
この様に自分達の現状を振り返る事なく行われる試験に私達は変革を期待できるでしょうか。否、私達は試験ボイコットを通じ、私達の人間回復を求めなければなりません。試験実施の内実を見つめ、試験強行をふまえた上で、共に進んでいく事をうったえます。
[※原本原文はタテ書き]
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