1969/07/11 -B
7月11日(金)
【役員会の公開質問状に対する解答】(十一日朝学校から発表)
◎豊高教育が存在する限り当然続くはずの同和教育を、今回の差別事件が起こるまで事実上放置されていたのはなぜか?
「従来の惰性の上に豊高教育があり、学校自身の日々の創造的教育への点検と反省を欠いていた点にある。」
◎差別文書を出した責任はどうか?
「我々差別者としての自己の告発の上に立って、その責任を自覚すれば、自らが実践的に同和教育を根幹として民主教育を推進していく外はない。」
◎豊陵新聞の検閲の現状と根拠
「検閲という語は問答無用式に抑圧し、自発自主活動へ??新聞活動を止めるという意味と考えられる。しかしそのような事はしていない。学校社会という立場に立って全部員の意見が十分に反映されるよう、適当な助言と指導が必要であると考えている。」
◎これからの同和教育の方針は
「(イ)講演会(ロ)ゼミナール(ハ)教師の研修(ニ)教科活動内で取り組む。など同和問題に対する職員研修委員会を通じて計画実施する。」
◎基本方針に基づく具体的施策
「学校教育方針の樹立」
各分掌の検討
(イ)生活指導、生徒心得の点検
(ロ)自治会、新聞部の位置づけ
(ハ)教務、補習、実力テスト、カリキュラム、席次、欠点の問題などの検討
(ニ)特活係、ロングH・Rの検討
(ホ)各教科の問題の検討
以上を夏休み中に検討する。
其他の項目については具体的なとりくみの中で明らかにする。
この後各クラスで、昨日の糾弾集会、公開質問状の解(ママ)答とこれからの学校の基本方針・今後われわれはどうすればよいかなどについて話しあった。
昼頃に開かれた全校集会では、昨日の糾弾を批判した六名のとった行動に対して、自己批判を求める声が多く、役員は「あくまで個人的な意見であり、個人的な行動であるが、結果的には役員の立場で対処したよう[に]なった事を自己批判する。」と語った。
この日議会で決定した事を順を追っていくと、この日配布された学校の日程(十二日休校、十四日からテスト)[…①]中止テスト日程の決定方法は全校投票、その結果全校生はその決定に従う。② ①を決定する前に、互いの意見を理解するために、十二日の休校をとりやめて縦割討論をする。
─自治会と学校の決定、11日五時半─
自治会─十二日は定刻に登校、縦割討論をする。昼食の用意をすること。本日の予定はなし。
学校(担任を通じて)─十四日からテスト決行。同和教育及び教育方針は短期間で決まるものではなく、試験を延期すれば、混乱を起こすだけで結果として何かに利用されるのではないか、この決定は全校投票の結果に左右されるものではない。
この日PTAの二年の学年会が開かれ今度の事件の説明がなされた後、明日十二日には生徒を登校させぬよう通達があった。このことからも十二日の登校は半ば学校側と対立した生徒独自の行動であったと考えられる。
またこの日あたりから生徒間、特に三年生と他学年との感情的な断絶が顕著になり始め、そのためテスト日程についての全校投票を前に明日の縦割討論が計られた。