1969/07/10 -B
7月10日(木)
糾弾集会が開かれたこの日は、職員が全部講堂に入るので学校側は部外者の侵入をさけるために朝からものものしい雰囲気が流れていた。その日は、糾弾集会の内容を知りたい者に対して、各教室に放送が流された。
糾弾集会は予定よりおくれて、二時頃から始まった。解放同盟約六十人と豊高全職員がテーブルをはさんで向かい合い、その側面に生徒という形で行なわれた。それから六時頃まで約四時間の糾弾で、民主制を欠いた豊高教育の実態が暴露された。
追求(ママ)された主な点、及び総括としては
△同和教育に関して府教委通達を握りつぶした形の校長の対処
△学校教育における組合活動の不徹底
△同和教育に対する府教委の姿勢
△“学校の主人公”たる生徒の真の意見の自由を剥奪
△部落差別に対する怒りが豊高差別教育に向けられた
△民主教育の欺瞞性
△真の自由とは何かを考えて、民主的な人間を育て、万人が平等な社会を建設するような教育を望む
この糾弾集会の半ば頃、傍聴していた役員三人、議長を含む六人が解放同盟の追求(ママ)が一方的であり、真の差別をなくす上では無意味だとして、退場し、集会の放送を聞いていた一年の各クラス及び二年の一部にその旨を主張して回った。このことについて糾弾集会が終ってから役員として無責任だとか、その行動に党派的性格がうかがえるとして一部生徒からの追求(ママ)があり、六人は十一日に全校集会で自己批判をすることになった。
この日関西部落研はビラをくばっていたが、後に解放同盟の人が校内に入れて講堂の横で糾弾の様子を放送で聞いていた。学校の心配したような事態は全然起こらなかった。
役員を含む六人の行動や、放送による傍聴のせいか、糾弾に対する生徒の受け取り方はさまざまであり、これが後の生徒間の断絶を生む一因ともなった。なお後に糾弾の正しい理解を望む目的で三年E組が録音テープによる糾弾集会の詳細をガリ刷りの冊子として作ろうとしたがのち先生・生徒の協議によって同冊子約百部の発行は中止された。