1969/07/08 [有志ビラ]7日全学集会までの客観的事実経過
#有志ビラ
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7月8日(火)/3年有志
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7日全学集会までの客観的事実経過
8:00 3年有志約30人による全学集会を訴えるビラマキ。
少し遅れて関西ブラ研もビラマキ。(豊高有志とブラ研とは全く無関係)
8:30 有志は各クラスに於て、期末テスト延期についての討論を働きかける。
その結果3年の全クラスで討論が始まる。
同じ頃、事務室に於て3年有志の数名が放送施設を利用するため入室しようとしたが、学校側に逆封鎖される。
そこへ関西ブラ研が、先週金曜日の誓約書についての解答を学校当局に求めるべく、校長室に押しかける。
それに対して校長は「部外者は退去して下さい。」との放送をする。
その頃、職員室においても関西ブラ研と職員との間にトラブルがあり、10数名の教師が軽傷をうける。
9:00 校長は10数名の職員に守られて北門より校外にでる。 それと前後して警
官約10名が校長の要望により導入される。
その際、1号教室前に於て官憲導入反対を叫ぶ学友約30名がこれを阻止しようとしたが警官は鉄製の指揮棒で学友数名を殴打し負傷者が続出する。警官隊は、さらに2手に別れ一部は事務室に入り、一部は関西ブラ研を新館方面に追い保健室前付近で逮捕する。(この過程で生徒側からの暴力行為は一切なし)
9:30 警官隊は南門からブラ研の者一名を連行しようとしたが3年生数名(有
志を含む)がバリケードをはり阻止する。
このため、北門から出ようとした警官隊は保健室前に於て、学友たちの「カエレ、カエレ」のシュプレヒコールにあい、ここにおいてトラブルが起こり一時停滞する。
その場に於てスクラムを組んだ学友たち共通の質問であった、「学園内への侵入、及びブラ研に対する逮捕理由を示して下さい。」ということに対して彼らは、「知らん。」のいってんばりであった。
(生徒たちが不審に思ったわけは、現に逮捕令状も出てはおらず、また警官隊の来たときにはブラ研は教師諸氏と会談中であり、現行犯にもならないからである。)
一方、このとき講堂では、3年生の大半が集まり、話し合いに臨んでいた。そして、そこに於て、警官隊導入の状況報告が行なわれる。
なおも警官隊は実力行使をもって北門に向かったため、生徒約40名は、ここに木箱などによるバリケードを築き、その前でスクラムを組んで、彼らが早急に立ち去ろうとするのを阻止する。
校内に待機していた私服警官のうち一人は、その状況から判断し、同じく待機していた増援隊に連絡し、その支援を頼む。
10:00 連絡を受けた、約50名の新手警官隊は、正門を乗りこえ、これを破壊し武力突
入を決行する。
これに対し、約20名の学友は道場前に於てスクラムを組み、一時、彼らと向かい合い、「カエレ、カエレ。」を繰り返したが、彼らは運動場を回り北門に向かう。
学友約50名は裏の女子便所前にすわりこんだが警官隊は、スクラムを組む彼らに対し、武力を持って向かい、なぐる、けるの暴行に及ぶ。ここで2年生の某君が眼下をけられ、中傷を負ったほか、10数名が警官による、顔や手足への軽傷を受ける。
最初学友諸君は警官たちの暴力行為に対し、あくまで無抵抗を守り、スクラムを必死に組み続けようとしたが、あまりの乱暴に耐えきれず、またある程度興奮していたためもあって抵抗を始めた者も、中にはあった。
腹部をけられ、その場にたおれこみ、その上からまた踏まれる者、涙ながらに保健室にかけ込む者など、その光景は、客観的に見ても「悲惨」としか言いようのないものであった。
警官隊は、生徒の中に、抵抗に及ぶ者がでるに至ると、「公務執行妨害」を唱え、ますますその態度を荒くする。その後、結局ブラ研2名が逮捕連行され、警官隊は正門より校外に出て、数分待機した後、引き上げる。
10:30 自治会主催の全校集会が呼びかけられる。
〔以上、各人がこれを参考として、各人の意志、及びその方向性を確立して下さい。〕
昭和44年7月8日発行/無断複製・転写を許す/発行者 3年有志
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1969/07/08 [有志ビラ]7日全学集会までの客観的事実経過