1969/07/05 自治会だより#1 今回の差別事件の起った原因
【7月5日(土)】
自治会だより S44.7.5
☆今回の差別事件の起った原因
豊陵新聞167号に差別的な言辞が掲載された。しかし、ぼく達豊高生は、だれひとりとして、この語句に気が付かなかった。─ということは、ぼく達豊高生約1500人が“被差別部落”について真剣な考えを持っていなかったからだ。(この事については、後に詳しく書く)
どうして、ぼく達がこの大事な“被差別部落”の問題について、真剣な考えを持っていなかったのだろうか? また、持とうとしなかったのか?
直接の原因は、豊高教育で“同和教育”“差別をなくす教育”が、事実上放置されていたからである。──では、どうして、今まで“同和教育”が放置されていたのか?
こうして問を進めていくと、豊高教育の根本的欠陥があきらかになってくる。
──つまり──
1.教育の中立性という美名の下に、真の政治教育=政経の授業etc.,今ぼく達の生きている現実社会の問題について教える教育が、ないがしろにされていたという点。
2.有名高校という世評にあぐらをかいて、入学試験合格のための学習を重要視した。
その結果として、「教育基本法に則り人格の完成を目ざして、全人的教育に重点を置く(本校基本方針の1より,生徒手帳にのっている。)」というもっとも基本的な事をとり逃してしまった。=教育の主体はあくまでもぼく達だ!
3.生徒が主体的な活動を行なおうとすると(具体的に言うと、集会ビラ配布授業外でのクラス読書会。講演会etc.)学校は必要以上に、色々な名目でもって制限したりした点。(この点についても別紙で詳しく書いてある。)
ぼくたちとしては、今回のような差別事件をおこさない、おこしてはならないと真剣に思うなら上にあげたような、豊高教育の根本的な矛盾にまで、目をそらす事なく肉迫して(考えなければならない事は山ほどある。)それを解決していかなければならない。
☆何をすべきか
「人間が人間を差別してはいけない」という意見には、どんな人にも異論はないだろう。また、「この世界からあらゆる差別をなくして行かねばならない。」というのは、ぼくたちに課せられた歴史的な任務である。この重大な歴史的任務を果たすことを全国民の決意という形で表われたのが、日本国憲法の「全ての国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地(部落差別はこれに触れる)により政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」という条項である。
しかし現実を見てみよう。現在、ぼく達の生きている日本社会には差別が存在する。それも、ぼく達が思っているような観念的なものでなく「人間が人間であるか、人間でないか。」「人間が人間としての生活ができるか。」というような非常な差別が存在する。また今回は、ぼくたちがその生活の上で相当な時間を過ごす豊高において、差別事件がおこった。これまでぼく達はこのような不当な差別に対して、無関心であり、その差別を事実上放任つまり黙認していた。口では差別はいけないと言いながら。差別されている人々から見れば、ぼく達も、実際に差別をする人とはやや性質が違うが、その差別を黙認していたという点で、同罪なのである。つまり差別する側に立ったのである。(ただ、それを意識していないだけだ。)
つまり、ぼく達は、現実にある差別を黙認するということで、人間を人間らしい状態から疎外し、つまり、差別し、また自らも無意識のうちに差別者という人間として恥ずべき地位におとしていたのである。ぼく達が真剣に“差別をなくそう”と決意して、またみずから差別者という地位から解放されたいと思うならば、“被差別部落”について深く考え、その解放のための運動に高校生として何らかの形(“被差別部落”について考え、知らない人に知らせる。とか、ホームルームで討論する、また部落研を作るとか、形は多様である。)で参加することではないだろうか。
役員会発行
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