1969/06/27 -B
#Vol.2
6月27日(金)
朝のホームルームの時間に、自治会と校長から昨日の経過説明があり、1・2時間目を使って自治会室をあけ渡すか否かについて全校的に討論がなされた。2年は大かた3時間目から授業を始めたが、1・3年は4時間目まで討論を続けたところもあった。しかし結局3年で賛否をとっていないクラスがあったので、全校的な結果はわからなかった。1時15分頃高校反戦らしき(後に役員会から高校反戦は訂正された。)[集団?]が7~8人正門の前に来て、演説を始めた。この時正門にはってあった“部外者立入禁止”のビラを破った関西部落研と豊高OBの2人が警官に逮捕された。学校はあらかじめこの事態を予測していたので正門を閉めて数人の先生方が警戒していた。全自治会員は役員会から教師で待機するようにとの連絡があった。しかし、ただ待機しているだけで、事態の実状を全自治会員は知ることができなかった。1:30に学校長は“今こそ豊高の主体性を守るために授業を始める。差別文書のことは、解放同盟大阪府連では許してくれた。今きているのは、解放同盟と何ら関係のない者である。”と放送した。その後すぐに自治会の方からクラス討論を始めるように連絡があり、今の学校長の放送は連絡が不十分であったと放送された。又、校長も自治会に従うように放送された。H・Rでは彼らを入れるか入れないかについて討論が始められ、役員会は、同和教育に対する方針として、
1) 自治会全体、自治会員はこれに対して自己批判し、学校側の不備を糾弾する。
2) 自治会活動の一環として同和問題にとりくむ。
3) 来週中にゼミを開く
以上のことを放送した。(後に議会から、これは昨日の議会で否決されたものであって、あくまで役員会の方針である。自治会の見解ではないと訂正があった。2:40ごろに自治会から状況説明と正門前の青年達の意見を伝えた。)
「(主旨)高校反戦とはまだ確証できないので訂正する。7・8人来ていて武装はしていない。正門前で演説しているだけである。内容は “我々の仲間が2人国家権力によって捕えられた。君達が国家権力と一緒になって、我々に対して対処してほしくない。何故前に出て我々と話し合ってくれないのか。25日にあやふやな態度で臨まないと言ったのは、単なるポーズであったのか…” 」
そうこうするうちに、テラスの所に出ていた一部の生徒が一団となって正門の所へ話を聞きに行こうとした。しかし、教師が前に立ちはだかった為、生徒は正門の傍へ行くことができなかった。しかし再度正門に近づこうとし、それをとうとう教師は止めることができず、生徒は正門の前に行き、そして座りこみ、正門の内と外とで、しばらくマイクのやりとりが続く。そのうちに、3:30頃から、正門の外の人達との話し合いを校内でやろうというものと、やるべきでないという者と二者対立する。(この頃学校より、下校するようにとの指示があり、一・二年生の多くは下校する。)これからしばらく、この人達を校内に入れるか否かで話し合いが続くが、平行線をたどる。そして、一部生徒によって、通用門の方が開けられたが、外の人達は入ってこようとはしなかった。この時前後して、外の人達と話したい生徒は門をのりこえて門の外に出て行った。内部では相変わらず先程の話し合いが続いた。7時頃、自然解散した。
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