1969/06/25 -B
6月25日[水]
A.M.10:40
一年生全員と、二年生E・F・H・I・Jのクラスは、この日の同和問題に対する講演を聞くため、講堂に入る(午前の部)。中野校長からの、この講演を行うに至った簡単な経過報告と、この講演の意義について話があり、続いて大阪教育大の盛田先生が壇上に立ち話されようとした。ところが、その時教職員の制止を振り切って演壇に上がった数人(この時点では、誰か全くわからず)が盛田先生よりマイクを奪い、校長に対して“現実に差別が行われている以上、この様な講演を行っても、それは逆に差別を教えるだけである”というような事を言った。その時、一年二年より“帰れ!”と言うヤジが乱れ飛ぶ。しかし、彼らは何の気にする様子は見られず。校長は“同和教育に対する認識の浅い者が豊高には多い以上、講演を行って少しでもその認識を深めていく事は必要である”と言われる。そして、会場の生徒より圧倒的多数の拍手を受ける。更に校長は“府教委には、今回の事件を起こした意味から最高責任者としての責任のため辞表を提出してあるが、府教委は今は責任を果たすべき時であるという解答(ママ)を受け取っている”と言われる。すると、壇上占拠の者が“辞表を提出しただけでは済まぬ。知らなかった事自体が今まで豊高教育の責任である。”というと、校長は“知らなかったら、知らせて考える態度を養う事こそ教育である”と言われる。そして、また多数の拍手を受ける。そして、生徒が立ちあがって、“自分達は同和問題に対して知らないでは済まされぬから、講演を聞いてそれについての認識を深める”という意見を述べる。そして初めのうちはこの様な意見が多かったが、次第に生徒側にも“講演を聞くだけなら意味はない”という意見が聞かれるようになった。そして、演壇上の者が、自分達は同和地区の者だと言って、その実態を話し出す。そして、生徒もそれを聞くようになる。そして、壇上の者が話す実態を聞いていて、生徒より“確かに君達の言うことは我々の知らないことだから大いに参考になるが、君達の感情の混じった話よりも、それ以上の客観的な講演も聞いた方がより正しい認識ができる”という意見が聞かれる。そのうち、壇上の者より“校長は逃げた。教育と同和対策を述べた校長が、この時点で逃げるとは何事か”という者が出た。生徒より“校長は逃げてはいない。校長の意見を聞こう”と云う者があり、多数の拍手を受ける。校長は表(ママ)われ、“論説では、有志を悪くは言っていない。にもかかわらずその表現を誤った事は全く許せない事である。”という。そして壇上の者が、“生徒が今まで同和問題に対して知らなかった事は教師の責任であり、生徒は教師に自己批判を要求する権利がある。教師自身差別を悪く感じていない状態だから、教師・教育者としての資格はない。”と言う。そして、校長にマイクをつきつけ、ハンドスピーカーで校長に対し自己批判を迫ったが、校長はしない。
そのうち一般の先生より一時近くになったから、全員教室に入るように指示があり、大かたの者は入る。が、壇上では盛田先生の呼んだ解放同盟豊中支部の寺本さんを始め数名が、壇上の者と激しく口論。解放同盟は、講演をつぶした者のうち一人のみ同盟員であったので、他の者に対してその行為を激しく追及し、両者に少々の暴力行為が見られた。この時点で解放同盟を名乗って強引に校内へ入って壇上を占拠した者は、一人を除いて解放同盟員でない事がわかり、関西部落研究会という団体であるらしいことがわかる。(直(ママ)、11時30分頃より3年生数名が授業を放棄して講堂へ入った。)
一方本館にいた多くの生徒達は、その詳しい様子を知る術もなかったのである。昼食時の休み時間は、校舎内に騒然とした空気が流れた。やがて「1時45分から5時限目をはじめます。」という放送が流れ生徒は各クラスルームに待機していた。そして3年の一部の人が2・3年の各クラスをまわって「講堂に入るように」と呼びに来た。斯くして午後2時ごろ、残りの2年及び3年の多くは、講堂に入った。一応、部落研と解同と校長とで話し合いが行なわれることになり、講堂には部落研の3人が残って、討論会が始まった。豊高生の一人が司会をし、事情の経過を報告し、討論が行なわれた。部落研の人々のその実態などの話しや、豊高生のいろいろな質問がなされた。講堂に入らなかった生徒は、3時ごろボツボツ帰り始めた。一方それから講堂へ行った者もいた。午後4時20分頃、解放同盟支部長、校長らが解放同盟と部落研との話し合いの報告をするために、講堂に出現。支部長は、今日の部落研の行動について次のように述べた。
「その中に解放同盟の者がいたにもかかわらず、解放同盟との連絡がなされなかったのは遺憾である。」また「解放同盟の方針は真の民主教育の実現、真の民主社会の建設へ、みんなでたたかってゆこうというものである。解放同盟とは、あくまで、民主的かつ組織的な同盟であり、この後には、半世紀にわたる闘いの経験と実証がある。」というものであった。校長は、「解放同盟の人々の話を聞こう。解放同盟の人の話を聞くには、部落研の青年は邪魔である。従って、彼らを追い出そう。自治会員の支持を求める。」と述べた。これに対して激しいヤジが乱れとんだ。解放同盟も自らの立場を再三強調した。ここで3年の一部が解放同盟を批判。マイクを校長と奪い合うなどして、一時騒然となった。やがてマイクをとった校長が「生徒は退陣せよ。」と叫び、約半数弱の生徒は席を立つ。「帰るな。」と叫ぶ者もいた。解放同盟の人、及び校長は退室した。とりあえず、残った者を対象に、部落研の演説が行なわれた。そうして一応5時頃閉会し、後、有志のみ残って討論。午後6時すぎに終了した。