1969/06/18 資料 「部落問題とは何か !?」豊中高校自治会・役員会
【6月18日(水)】
豊中高校自治会・役員会
《解題》
自治会役員会より配布された「部落問題」に関する資料。
内容は、「部落問題とは何か !?」の表題のもと、
(1) 差別はどうして作られたか」、
(2) 差別は何故残されたか」、
(3) 未解放部落の状態」
の3項からなる啓蒙的内容の参考資料だが、今回の事件に触れたとみられる表題部分は切除され、裏面は印刷されずに配布された。
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部落問題とは何か!?
1) 差別はどうしてつくられたか
徳川幕府は 当事 の基本的な生産者である農民を「死なぬよう生かさぬよう」とい死なぬ程度の生活をさせ、いっさいの生産物を年貢として搾取する支配を行なったため、そしてその搾取体制を維持するために、きびしい身分制をつくった。将軍、大名をふくむ武士(士)、百姓(農)、町人(工商)、賤民(エタと非人)を法制のうえではっきりと区別し、子孫代々まで身分が変われないように固定した。 部落住民の祖先は、「エタ」身分の者として、特定の居住地と職業にとじこめられ、宗教・結婚・服装など生活上のすべての面できびしい制限をうけて、差別された。 同じ賤民でも非人は一定の条件ができれば平民になることができた。しかし、「エタ」身分の者だけが、どんな金持ちでも、有能な者でも平民になることはできなかった。
こうした差別と圧迫は徳川中期以後、いっそう政策的に強められた。差別からかくれて市中に生活している者を調べ逮捕するという、いわゆる「エタ狩り」の弾圧を加え、又人間なみの服装を禁ずるなど露骨な差別を強化しました。そして幕府は「エタ」身分の人たちにたいする差別を合理化し、一般の人に信じこませるために、宗教を利用したり、御用学者に差別の人種起源説や職業起源説などをでっちあげ封建社会がくずれないように“いわれなき差別”を行ないました。
2) 差別はなぜ残されたのか
明治政府は1871年8月28日太政官布告第61号で「エタ・非人の称を廃止し、身分職業とも平民同様にする」ことを明らかにした。このことである程度、部落住民の状態は改善されましたが、部落住民は市民的権利を保障されず、明治政府は封建的身分制度を廃止したかわりに、新たに華族、士族、平民という身分制をつくった。 差別は政治的に支えられ、部落住民は、「新平民」「特殊部落民」などとよばれ封建制度さながらの差別をうけ、さらに兵役の義務によって軍隊内でのたえがたい差別をうけた。
経済的にも皮革営業の特権をとりあげられ逆に納税の義務をおしつけた。
政府は義務をおしつけましたが、部落住民の基本的人権と生活保障のための措置は
なにひとつおこないませんでした。
これらの結果、部落住民に対する差別がのこされ、とりわけひどい失業と貧困に苦しめられました。それから部落は独占資本の搾取をつよめる重石となり、支配の道具として利用されてきた。そして現在まで部落の失業者・半失業者を低賃金労働者として利用し、部落産業にみられるような、おくれた搾取形態を利用して、最大限利潤の追求に役だてていることです。
3) 未解放部落の状態
過重な肉体労働と労働市場における交替が急激なため部落は慢性的な失業・半失業のたまり場となっている。又最近農村の部落住民だけでなく、一般の農村住民、炭鉱離職者はもちろん都市貧困者をも吸収して、部落そのものがいちじるしく膨張している。
又部落人口もへるどころか 増化 している。しかも、流入層の大半が、従来から
住んでいる部落住民より貧しいために都市部落の生活は、人口増大にともなって、住宅難、環境の悪化、交通難、交通事故、公害などによって、生活と生命の不安がいっそう激しくなっている。また住宅はバラック建築が83%をしめている。又、台所のない家が22.6%、便所のない家が32.6%のところがある。
飲料水を大半が井戸に依存している部落では、こうした悪条件が重なって、しばしば伝染病の集団発生をみている。又、過労と貧困にもとづく栄養摂取のアンバランスが、はげしく健康な体をむしばんでいる。
また、部落出身だからといって就職を拒否されたりしている。又、子供たちはこの還境の中から学校を長欠したり非行に走るものがでたりしている。そして「せめて高校だけはやりたい」という親の切実な願いにもかかわらず1968年京都府における進学率82%に対して部落の子供たちは48%となっている。全国的にみても30~50%という状態です。このようなひどい差別をかえりみない......それが特殊部落ということばなのです。
大阪府立豊中高等学校
自 治 会/6.16