1969/06/16 -B 朝礼時の豊陵新聞発表(全文)
#Vol.1
一昨日の土曜日、既に担任を通じて連絡があったと思いますが、私たちは去る6月9日発行の豊陵新聞167号を即刻回収することを決定しました。恐らく豊陵新聞はじ まって以来の異常措置です。本来ならば今日事情説明と同時に、回収をお願いする筈 でしたが、とりあえず土曜日には回収の報告だけをしておいた訳です。それで今日は この場を借りて、この措置に至った理由を、編集局として明らかにしたいと思います。 というのも、第167号記載の記事中に、単に訂正では済まない程の重大な誤りが有ることが見い出されたからです。即ちそれは2面論説文中の次の箇所―「しかしなが ら“有志”を除く他の大多数の会員にしてみれば“有志”とはまるで特殊部落の住人 としか見えないのかも知れない。」ーこの中の“特殊部落” という用語がそれなのです。もっとも、筆者は単に“特殊な存在・領域” という意味で使用しました、しかし それでも、 問題はあるのです。
というのは、現在社会的に非常な問題を孕んでいる、部落問題です。「橋のない川」 という映画などで既に御存知の方もあるかと思いますが、この大きな問題を考えた時、この論説に見られるようなこの言葉の用い方は、実は現実に理由のない差別を余儀な くされている被差別部落の人たちへの潜在的な差別、それ自体を示すものではなかっ たでしょうか? 事実現在の部落解放運動、同和教育において、このような言葉は明らかに差別用語として、 使うことを許されない言葉でもあったのです。 そして更に、こうした言葉を軽率に用い、その明らかな誤りを、新聞という公的な メディアをもって多くの人に伝達したという事は、明らかに被差別部落の人たちに対する不当な偏見を逆に助長し、温存するという―いわゆる差別の再生産を行なったのではなかったでしょうか? たかが言葉ひとつといわれるかも 知れませんが、こうした許され難い誤りが、確かに活字となって残される以上、 その危険性は永久に消えないのです。
しかもこの誤りは原稿整理の段階においても、 校正の段階でも、 発行に至るまでつ いに問題となることはなかった(のであります)。この限りにおいて論説委員はもと より、当編集局員ならびに顧問は、自らの部落解放運動、同和教育に対する認識と自覚のなさを決定的に露呈し、これを痛切に反省せざるを得なものです。いやしくも 本校のマス・コミュニケーション機関として、校内の正しい世論を形成していくべき 私たちがこうした誤りを紙面に犯したということ自体は、いかに非難され、また反省 してすぎる事はない事実です。 申し訳もできません。
ここに私たちは、 今私たちに成し得る最大限のこととして、 前にも述べたこの誤りのおよぼす社会的な影響を考え、 豊陵新聞167号を 全て回収するという措置に自主的に踏み切ったわけです。
あるいは思い出される方もあるかとも思いますが、今年の2月、岩波書店が、私たちと同じような措置に至っています。同社発行の『世界』3月号に、大内兵衛氏の執 筆した文中の"大学という特殊部落”という、全く同様の誤りを部落解放同盟が指摘 し、岩波書店は出版社としての責任をとって、何十万部という同3月号を、全て回収 した。-何もそのレベルに於て、豊陵新聞が岩波に匹敵するなどいうつもりは毛頭あ りませんが、私たちが今までどうしてもなおざりにして済ませることのできなかったのは、もっと根本的なもの―ナマイキなようですが、 マス・コミュニケーションの責任、このことだけだった。
その意味で私たちのこの謝罪~回収はあくまで豊陵新聞として自主的なものであ り、決して学校側から強要されたものではありません。いづれ校長先生が話される学校側の見解とは全く別個のものです。社会的な責任をとれない私たちにできる最大限の行動が、回収であり、この謝罪であった訳です。 長々としゃべりましたが十分におわかりいただけたでしょうか。私たちが今度こう した事態に直面して気付いた事は色々あります。然しここでは敢えてそのことまでに は言及しますまい。ただ何か今度の事は、今日私たちが謝罪し、学校側が見解を示し、 新聞が回収されて、そのまま終わってしまってはならない問題であるような気がしま す。しかし私たちとしましては今は心から軽率な活動を謝罪するより他ありません。 今後二度と、こうした基本的な誤りを犯さないように互いの意識を高め、今後の編集 活動において細心の注意をはらうと共に、今は豊陵新聞167号が一部残らず回収できますよう、再度皆さんの御協力をお願いする次第であります。
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