1969/06/16 -B
6月16日(月)=朝礼での回収説明
この日は、松村・佐々木共、バレーの校内大会の練習が早朝からあり、たまたま一緒に登校したが、その際やはり校長との協議はやめよう、と言うことになり、両君は時間になっても校長室に行かなかった。この理由としてはいささか計画的であるが、昨日の疑問は疑問のままで抑えておき、後に校長が発表した時になって追及しよう、という所であった。8時過ぎになってから結局奥田先生に呼ばれ、佐々木だけが校長に会うことになるが、両君共この朝のことは理由の如何にかかわらず後に深く反省したようである。其後、佐々木は校長室で校長が朝礼で発表する要旨を確認し、結局佐々木が書き直してきた謝罪原稿について校長、顧問と検討をおこなった。──さて同じころ校門前では一部有志─豊中高校反戦連合の手になる「新聞部及び学校当局を糾弾する」無届ビラが配布されていた。*
* このビラは、この日の朝礼以前に印刷された為か、かなり事実とのくい違い
が見られた。言うまでもなく土曜日の時点においては回収事情が充分に知らされていなかった為もあろう。またどうして朝礼以前に回収の事情を知り得たか、という事であるが、実は彼らの中の一人が局員でもあり、これまでの局内討論に参加していたという事が考えられる。全体責任の上に謝罪すべき立場にある局員が、逆に“自己批判”をつきつけるといった矛盾した行動自体に疑問はあるが、これはそのまま豊陵新聞自体のあり方にもつながってゆく問題でもあろう。
このビラが校長室にもたらされるや、はたして事態は急転した。そして結局、同日の朝礼では、佐々木による豊陵新聞としての謝罪~回収説明だけがなされる事となった。──職員間で見解も一致していない段階で、実質上の校長個人の見解を発表すると、また“一部有志”が「何か言い出す」恐れがあるから、との事である。 又、この日の朝礼に際して学校側は、マイクロフォンのボリュームを低くしては…と言うまでの気づかいであった。朝礼では校長の紹介のあと、豊陵新聞を代表して佐々木が、167号回収についての謝罪と事情説明を全校生徒の前でおこなって、終った。