1969/06/13 -B
#Vol.1
6月13日(金)=回収決定と学校の姿勢
(放課後P・T・A総会、金曜集会=後 心得22項に関する有志討論会;於 玄関前)
登校後、佐々木は早速、謝罪文草稿を局員間に回し、後2-3限の休憩時、奥田先生と会った。その際、一応回収の意志を伝えると、同先生はそこまで─と同意しかねた様子だったが、とりあえず放課後の局内会議を待つ。はたして放課後、局員の間では、局の自主回収について、全員の賛成を得た。顧問は奥田先生が出席。回収本来の意味を考えれば回収はできるだけ早い方が望ましかったが、回収についてちゃんとした理由をつけた上でアピールするのが妥当であろうとのことから、やはり謝罪文を配布する16日(月)まで待つことに決定した。
奥田先生はこの席で、顧問一人でこの謝罪文を認める事はできず、もはや新聞だけで片づける問題ではない、として、豊陵新聞はじめ学校活動に関して最終的な責任を持っている、教頭・校長の判断を求める事を提案された。そしてとりあえず、石山教頭に原稿を見せ、その後職員室に局員、奥田先生、石山教頭が集まってこの文のあつかいを協議した。石山教頭はその後、責任上、校長に見せておくべきだとして、原稿を校長に見せ、やがて校長も職員室の話し合いに加わった。この際、中野校長はじめ全員が懸念することは、所謂「差別の再生産」という事であった。即ち、この謝罪文の文面に更にこちらには分らない差別用語等の表現があるとすれば、謝罪自身は結局、意味をなさなくなるからである。またこの際文中の、暗に教育批判をほのめかしている箇所─《 》内の文─についてもとり上げられた。*
*  この場において、校長及び教頭はあくまで新聞の最終責任者として、局の発
行する謝罪文を検討しているのであって、これは学校の同和教育に関する学校責任とは、全く次元のちがうものであるし、事実、局員の「謝罪文を新聞が出した後、それでは学校側は、このこと(同和教育)についての見解をどのように示すのか」という問に対して、石山教頭は、まだ教員間の連絡もとれていない今、はっきりした具体的な見解は打出せない、と言明している。
さて、謝罪文については、校長も判断をくだしがたいらしく、結局実際の措置として、部落解放同盟(以下解同と略す)に属している校長の知人に、その日の夜、意見をきいて考え直し、問題のないような文面に直した上で、おそくとも明日の午後には原稿を印刷所へまわせるようにしたい、と提案された。解同にいる知人とは、あくまで相手をこの問題に関する“有識者”として、私的に意見をきいてみる、とのこと。そうなった場合も翌土曜=原稿まわし、日曜日=ゲラ刷り校正、月曜日配布と、最終的な日程はかわらないので、局員もその措置に一応承諾した。その後、場所を校長室にうつしてひき続き討論。その際校長は、今夜文面を再考するにあたって、豊陵新聞の主体性をできるだけ尊重したいとして、原稿を局員間に廻され、局員は各自の主張点に印をつけて返した。討論は同和教育のことにまで及んだが、ここで局員は、局の主体性─すなわち、局の謝罪と学校側の見解発表とは全く別のものであることを確認**、あとは訂正原稿を明日早朝に局員が目を通すということにして解散した。
** 「局の主体性」について──たとえば豊陵新聞は誤りをみとめ、自発的に回
収を決意したにもかかわらず、本来、新聞も校長に最終責任があるのだ、という理由から、報道責任すらも学校側におしつけて、管理者たる学校として謝罪させることも、あるいは可能であったかもしれない。しかし、そうした場合、その謝罪の中に当事者である局員はもはや存在せず、いきおい自治会員に対する今後の編集活動も空虚なものとならざるをえない。明らかに新聞自体の存在がいい加減なお遊び程度のものに見られても仕方がないだろう。しかしながら、教育を受けている局員に社会的責任をとることはできない。局がとりうる責任とは、だからあくまで報道の上の、一種精神的なものであり、それは結局、局自身による自治会員への謝罪であり、新聞の回収であったわけである。
こののち、校長と宮城先生とは学校に残り(奥田先生は帰宅)、府庁で同和教育をやっているという豊中在住の人と共に同日、午後九時頃まで色々話されていたようである。謝罪文文面の是非については、同氏も判断しがたい様子であったので、校長はその後(電話を通じて?)前述の解同の人の意見をあおいだ、ということである。(─以上、後日、宮城先生談)
〔13日(金)付記〕──この日、はじめて局が自主回収の決意を表明したわけであるが、これまで顧問ないし学校側から局に対して、回収についての提言は全くなされなかった。そして、この日の段階では、新聞回収へのシステムは担任による(すなわち学校組織による)ものではなく、局員によるものとして学校側との意見の一致を見ていた。この点からいって、6月26日付「毎日新聞」朝刊にでた記事─「誤りは教員がみつけ、教員が全部数回収した」─の部分は、明らかに事実経過を正しく反映しない誤報であるか、発表の誤りであるかのいづれかである事が明らかとなろう。
1969/06/13 -B
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