1969/06/11 -B
#Vol.1
6月11日(水)=問題発見
放課後、4号教室において議会。局室では、次号168号の企画。
さて、先167号論説委員であった佐々木(Ⅲ-A)は、議会傍聴の後、帰宅し、夕食後両親に豊陵新聞167号をはじめて見せ、批評を仰ぐ。そのとき、初めて同君は、問題の語句について指摘を受け、これが純然たる差別用語である事を聞かされた。そして執筆者として、全く無意識のうちに文中に使用し、その時指摘をうけるまで全く気付かなかった事を認める。*
* 実は、何の意識もなく使用していたという事自体、部落解放運動、同和教育
に対する認識の欠如を物語るものであり、それは明らかに潜在的な差別・偏見をすでに宿しているものだろう。同君はこの事を痛切に自己批判し、その夜、「急場」にのぞんで関係書物を熟読した。
そののち、午後10時ごろ、同君は、前号同じ論説委員であった松村(Ⅱ-D・現文化委員長)にその旨連絡し、私感**を述べ、明日12日放課後、局員全員にこのことを知らせたうえで、新聞編集局としての意志統一を計る事を打ち合わせて、意見の一致を見た。 続いて、とりあえず顧問の奥田先生にも連絡し、このことを豊陵新聞で、事後乍ら、改めて取り上げる意志を表明した。そして同様に、明日放課後、顧問もまじえて、話し合う事を確認する。
** この段階での佐々木の「私感」としては、167号回収という措置までには考
えは及んでおらず、ただ、できる限り早急に、問題の箇所に関する、局としての謝罪文を、今後の局の方針、また更に、同和教育についての学校批判をふくませて、全校に配るといった程度であった。
1969/06/11 -B
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