1969/06/09 -B
#Vol.1
6月9日(月)=発行
朝、朝礼後、各教室ごと50部を配布する。この日、すでに職員室で問題の語句について石山教頭、江崎先生等から、新聞顧問(宮城・奥田・中島先生)の方に指摘があったようである。しかしそれも職員会議など公的な場所ではなく、多分に個人的な感想であったと考えられる。その後、宮城先生と奥田先生の間では一応顧問として、例の語句について協議があった模様であるが、実際的な対策(謝罪、回収など)までには到っていない。また、生徒の側からもさしたる反応は見られない。
放課後、局室において167号の反省会を行なう。色々な反省の中でついに、この事は問題にのぼらず。ただ、奥田先生が、職員室での意見をもとにして、軽く話題にのせられるが、その時点においては局員も顧問も「例の語句は別に差別の意志があって使用したものではナイ」との事から、そのまま、立ち消えになって終る。解散は5時半。
1969/06/09 -B
▶︎ 1969/06/09 -A 豊陵新聞167号発行
▶︎ 1969/06/11 -B