資料1-01 解題
「豊高闘争の記録」と題されたこの資料は、1969(昭和44)年の「紛争」当時から2年を経た1971(昭和46)年の7月、同20日付けで発行・配布された「豊陵新聞」第171号の特集記事として、同紙2面全面と3面の半分近くにわたり掲載された「記録」文献である。(同紙の体裁はブランケット版・活版印刷、計4面で構成)
この「記録」が対象としているのは、一連の「紛争」の端緒となる「豊陵新聞」167号が発行された1969年6月9日から、翌1970年の2月24日──卒業式当日に独自に開催された“自主卒業式”──までの期間。この8ヶ月余に豊高で起きた主な出来事の事実経緯が、個々の日付ごとに克明に記録され、時系列で整理されている。
そうした意味で、この「記録」資料は、上記「豊陵新聞」167号論説文中の差別言辞に端を発した全校的な“激動”の中、期末テストボイコットにまで登りつめた「6・7月闘争」を中心に、その後の2学期以降もなお継続して闘われたハンスト(11月)~バリケード封鎖(12月)、校長軟禁~大量処分(1月)、そして先述の自主卒業式までを含む「豊高闘争」の全過程を、生徒側の視点から記録に残した唯一の文献資料であるといえよう。
本特集の企画および執筆は、1971年当時の「豊陵新聞」編集局員によるもので、実質的には、当年度の3年生(高校24期)であった編集局長が自ら中心となって取りまとめたものである。
特集前文にもあるように、「…(二年前の)一連の事件を直接体験したのは、もはや現在の三年生のみ」となった1971年の時点で、多くの人々が当時の出来事を「夢物語のように忘れ去ろうとしている」かのような学内状況に抗しつつ、あえて「一連の事件=闘争」の事実の全体像を記録にとどめることで、あらためて「何を求めて、何が原因で、この事件が起こったのか」という同時代への問いを「豊陵新聞」紙上に刻印した本特集の制作に敬意を表しつつ、アーカイブとして受け継いでいくことの意義を再確認しておきたい。
なお、本「記録」の執筆に当たっては、1969年当時の編集局員が自主的に編集・発行した冊子『豊陵新聞167号「論説」事件の記録(vol.1~vol.2)』【資料1-02】【資料1-03】や、「豊陵新聞」第168号掲載の記録記事(期末テストボイコットまで)【資料1-04】等の資料が参照されているほか、同年9月以降の経緯に関しては、執筆者をはじめ「紛争」経験年次の編集局員による取材メモ等をもとに取りまとめられたものである。(佐々木記)