2020-09-06 fairytale:.txt
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とある集落に存在した、とある風習によって生まれたモノのおはなしをしよう。おとぎ話だと思ってきけばいいよ。
その集落にはひとつ、学校なる教育機関に酷似した施設があって、そこに居る子供たちは特別だった。
何が特別だったのかはわからないけれど、血筋だとか才だとか生まれついての姿だとかを含め吟味され、最終的にはどうやって見極めているかわからない「カリスマ性の高さ」とやらで集められた子供たちだった。
その施設では「神様になるための教育」がおこなわれていた。
飛躍しすぎていて意味がわからないでしょう?わからなくていいんだよ。あんなの。
「信じる力」っていうのは強大であればあるほど強靭で、確かなものになるらしい。
群衆が野良犬を狼だといえば狼になるように、真っ白なハトをカラスだといえばカラスになるように、皿に盛った土は馳走になる。
神になると信じられた子供は、神になる。
そんな信仰のもと育てられた子供たちは、不思議なことに本当に神様になれちゃうんだ。もちろん全員が全員そうじゃないけれど。
人々の信じる力を糧に、子供たちに付きまとう神という偶像が生まれる。
その信仰心が強ければ強いほど、多ければ多いほど、子供たちはより神に近づくことができる。
それがどこまで有効なのかはわからないけど、少なくともその場所では有効だった。
施設にいる多くの子供たちはそれを理解しなかったが、一部の賢い子供たちは理解した。理解して、あえて演じていた。より強靭な神になるように。
年端もいかぬ子供が、大人同然のふるまいをすれば、慈悲の心を持てば、とにかく子供ならざる言動をすれば。その姿は非常に不気味で、とても「美しく見える」んじゃないかな。
神様へと昇華した子供たちは老いることなく、存在を続けるために神様を演じ続ける。人々からの、世界からの信仰こそが、自分を生かし続けているものだから。
増えていった神様たちは、神様たちだけであつまり、人々と少し離れたところで生活をするようになる。そのほうが神様っぽいから。
いつからか神様たちだけのルールを設けて、そのルールのもとで生活して、ずうっと人間相手に神様っぽいことを続けて、かつて人間だったことすら忘れてしまって。結局ダラダラと生き続けているだけなのに、自分たちのおかげで世界がうつくしく回っているような気持ちになってるんだ。
ボクたちは元々、皿に盛られた土なのにね。
神になったばかりの子供たちがそうであった事を忘れさせようとさせるルールも、もちろん作られていた。自らが自らの存在を信じなければ破綻してしまうからって。秩序を保つためらしい。へんなの。
まあ、今はどうなってるか知らないけどね。