特別な教育的ニーズをもつ児童生徒に関わる学校職員の図書館に対する認識の変化のプロセス
特別な教育的ニーズをもつ児童生徒に関わる学校職員の図書館に対する認識の変化のプロセス : 修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチによる分析を通して
The Process of Recognition Change about the School Library through the View of 19 School Staff Members Who are Involved in Students with SEN : Through Analysis Using a Modified Grounded Theory Approach
MATSUDO Hiroyo
コロンビア大学ティーチャーズカレッジ日本校
Columbia University Teachers College JAPAN
小・中学校の養護教諭,スクールカウンセラー,特別支援教育コーディネーターら学習の評価を担わない職員19名を対象に,学校図書館をどのように認識しているのか,またその認識の変化の要因を修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチで分析を試みた。結果として,評価を担わない職員は,利用する前は用がなかったらいかない場とみていたが,特別な教育的ニーズをもつ児童生徒の同行をきっかけに学校図書館を資料・情報の源,生徒が落ち着ける場,社会へつながる場へと捉えていく。この認識の変化は,評価を担わない職員が学校司書を資料の専門家,学校司書の生徒への自然なかかわりをもちながら生徒の成長を考えるという姿勢を認識したことによるものであった。これらの特性から,適切な資料提供,共感理解による児童生徒の自己肯定,児童生徒の社会性を育てる教育的な支援が,学校図書館の特別な支援として示唆された。
> This study aimed to elicit the 19 school staff's recognition change and factors involving the school library through using a Modified Grounded Theory Approach. This time I interviewed school staff members including school nurse teachers, school counselors and special educational coordinators who do not evaluate students' academic achievement level in elementary and junior high school. As a result, it was identified that 19 school staff at the beginning regarded school libraries as the place only their information needs were met. However, they changed their impression about the role of school library was modified through a library visit with students with SEN, as a place that provided: materials/information resources, a place where students can be comfortable, and a place to connect to society. These understandings are based on 19 school staff recognition of school librarians as materials specialists, communicating with students naturally, and considering students' growth. Based on these things we propose of school library's special support for students with SEN three special supports were suggested as follows: providing suitable materials which consider students' situation, supporting students' self-affirmation by sympathetic understanding, and encouraging students' socialization.
> 収録刊行物
> 日本図書館情報学会誌
> 日本図書館情報学会誌 54(2), 97-116, 2008
> 日本図書館情報学会
<読み取りの視点:該当文章を読むうえで、どのような問いを立てるか>
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①理論から分析を始めるのと、今回のようにデータを収集して、そこから概念を生成する方法との違い、デメリット、メリットなどはなにか。
②質問自体に誘導性がないか。「どのような点が見方として変わったのか」「特別な教育的ニーズを持つ児童生徒に対する学校図書館支援をどのように捉えてるか」
③なぜGTAでなくM-GTAを採用したのか。
④M-GTAの採用理由として書かれている、概念から当事者の経験している体験を深く解釈できるという部分が分からない。
⑤評価を担う担任も一緒に調査していれば、対比ができるのになぜしなかったのか。
<読み取りの視点に対するポイント:あなたが立てた読み取りの問いに対する答え>
まつど.icon①理論から分析を始めると、著者の信念に沿った調査をしがちではないか。アンケートで恣意的な質問群を作ってしまわないかという懸念があるが、対してGTAでは、データをもとに概念を生成するので、理論を批判、検討しやすい(根拠がある)というメリットがある。デメリットは、一度概念生成されると、データを破棄しても、議論が可能であるが、破棄してしまうと、統計的な説得力がなくなるのではないかという部分。②質問の誘導性は、理論から始めるよりは調査法として客観的であるが、改善が必要。あくまで母数の言説量に対してその概念が、因果分析的に説得力があるものなのか、もっと可視化していかないと追加調査との整合性がとれなくなる。③GTAは、切片化によって、解釈をできるだけ多角的に出せるようにする方法であるが、M-GTAは、具体例に共通する部分、つまり積集合という制約の強めた方法なので、解釈のグラデーションにおいて、より確実な部分だけ残せるのではないかと考えられるから。④また、それゆえM-GTAは解釈に客観性があり、生成された概念から実践への思索をしやすいという意味で新しい知見への方途があるので「深く解釈」できるといえるのではないか。⑤調査という要素に被観察者は影響をうけやすいし、そもそも母数が少ないので、予想通りの反応をしなかった場合に論証に不都合があると想定したから。
<提言:著者のメッセージ(結論)>
まつど.icon評価を担わない職員の学校図書館に対する認識の変化のプロセスと、認識の変化を促す要因をM-GTAを用いて明らかにした。具体的には、図3を参照。これを参考に、学校司書を通した学校図書館の支援として期待したいものとして、(図4を参照)適切な資料提供による児童生徒への発達支援、共感理解による児童生徒の自己肯定支援、児童生徒の社会性を育てる教育的な支援などを挙げた。
<疑問・意見>
まつど.icon 学校司書と他の学校の教職員との連携ができている学校は、どのようにその関係が築かれるのか。 高校を卒業したあと、高校の図書館に月1で通っていたのだけれど、生徒はわりと忙しくて、リピータ以外は学校司書と話す時間が取れなさそうだった。自分は現役のときは図書部だったので、わりと話す機会が多かったので<グッドリスナー>としての司書の役割というのは実感がもてた。
評価を担わない職員は司書のサービスや生徒との付き合い方から「何か」を学び取っているのではないという問いがあって、その「何か」を言語化していくときに、説得力を持たせるためにM-GTAを採用したのではないかと思った。この調査はそもそも理論からだけでも導けるのではないか。オンライン勉強会における参加者の認知の変化などをGTAで調査してみたいと思ったりもするけど、調査としての誘導性が気になる(オンライン勉強会も用がないときしか参加しないのではなく、セレンディピティで参加するようになったり、惰性的にチェックするようになる人もいる。Twitterで繋がりができたり、対話の仕方が変わってくるなど。誰でも参加できるので、勧誘したくなる。応援したくなる。例えば、今回の論文を読んだ感想を元に、オンライン勉強会の分析に、概念を転用してみて、話をするとかしてみたいと思うようになるという意味で社会的なスキルが養われた)。 用がなかったらいかない場所:用がなくても行く場所というのはそもそも学校内にあるのか(たとえば、新しい発見があるという意味で学習として図書館に行くことははたして用がなくても行くと解釈するよりも、資料探索におけるセレンディピティや、自分の専門分野以外の本の把握に図書館が役立つということが、たとえば、図書館で借りた読書が授業で生きたなどの経験から誘発されて条件付けされたのではないか)。職員室?用がなかったらいかないという認知のレベルでは到底、教科教育としての図書館利用という発想にも至ってなさそうだし、教員当人の探究学習も適切になされていない(授業研究など)と推測されるので、そのあたりとの繋がりも考えてみると面白いかもしれない。たとえば僕は図書館に用がなくて行くことはない。本をとりにいく必要があるとか。ただ先生だと暇つぶし、時間つぶしで行くこともあるのかもしれない。図書館という空間の公共性というのは、たとえば職員室は場所によっては線から先に入れないこともあるし、音楽室などの教科専門の部屋も特定のときしか入れない。他クラスにも気軽には入れない。学校において公共性がある場所は少なく、廊下やグラウンドなどとならんで、図書館が挙げられる。居場所 社会学的な議論でよくある。今だとネット空間における居場所というのも大きい。学校に行っても辛くなる人は図書館に来てみたいなこともたまにきく。自分は高3の演劇のときに、疲れたので図書館で立ち読みしてたら、担任に見つかって、みんな頑張ってるときになにやってるのと怒られたことが記憶に残ってる(現役のときは忙しくて図書館に行く暇なかった)。
チームとして生徒の支援をしていくという自覚やその実感というものをどのように持つい至るかという分析としてよく出来ていると思った。