「性的少数者に対してどのような対応が必要なのか」について、グループワークで出た意見をまとめつつ、あなたの考えを述べなさい。
提出用
男女差別とLGBT差別、同和問題、身体・精神障害については人権の一くくりで議論しないとみえてこないことがある。個性を尊重するためには他者と真摯に向き合う親密さが必要であるし、人間の多様性をしり、人間の対立の歴史そしてそれを克服してきた歴史を知るなど膨大な学習を要求される。人権思想は実践道徳であり、これを多くの人間に学習させることは性的少数者に対しての配慮にも当然つながってくる。
ジェンダー論という人権思想の一部分を学習させる機会コストをいかに負担させるかという観点から我々は互いに教育的配慮のある振る舞いをすることが望ましい。
まず、フェミニズムやジェンダー論について気軽に学習できる環境を整える。具体的にはカミングアウトしやすいようにポスターやレインボーリボンステッカーを貼るなどしてシグナルを出す、定期的に図書館で特集をし関連蔵書を豊富にしておく、家でならばジェンダー問題を扱ったアニメや漫画、小説、参考書を置いておくなどである。 学校教育や社会教育においてもっとジェンダー教育を増やせという主張があるが、政治的にも経済的にも他の実用知識の学習時間と競合するし、興味の持てない時にムリヤリ教え込んでも反発を招きかねないので、時間をかけて家庭教育でおこなうことが長期的に機会コストの観点では望ましい。家の場合は書籍などに投資することができるのは経済的に親だけなのでこういうことをジェンダー論の授業で教えるべきかもしれない。
親の立場から考えるべきことは日常的に性についてどのような発言をしているかということを自省することだ。なんでも善悪二元論で解釈していないか、性について理由もなく否定したいと思うことはないか、同性愛を馬鹿にしたり笑いの種にしていないか、性役割分業やポルノの扱い、子供の恋愛などあらゆる側面で性についての理解を疎かにしていないか問い直す必要がある。欠けている知識があれば少しずつ学び直す必要がある、私は知っている立場だと思い、そのように振舞うかぎり、家庭内は性的に抑圧的な環境にしかならないだろう。
リベラルの立場からはLGBTの立場を肯定するのが当たり前だけれども、例えば保守的立場には少子化対策においてフェミニズム運動を否定することが男女平等を達成できると考える人もいる。そういう考えの多様性に対して立場が違うからといって頭ごなしで否定するのではなく、分からない部分は分からないと言明する、理屈で説明できることは理屈で説明するといったルールを自分に対して課す必要がある。
親の立場としては、子供に時間をかけて学んでもらうため、あらゆる議論について自分の考えを文章にして子供にだけでなくネットにもあげて文章に公共性をもたせるのが望ましい。なぜ公共性が必要かというと権力を持たない人間は権力をもった人間に対してフラットに話すことはできないし、対話だと後でいくらでも発言を曲げられるが、文章にしてネットを挙げてしまえば変更も適切な手続きが必要であるし(容易に言うことを変えるのは誠実性に欠けるので、それは訂正記事などで行われるだろう)、より知識のある人からも批判をうけることができるからだ。 ツイッターで見られるような立場が違うからブロックするといった政治的なわばり意識を現実世界で(しかも家や学校といった閉鎖空間で)表明するのは、権力を持たない立場やこれから権力を持つ立場の人間に対して教育的配慮が足りない行為である。誰もが学習者であり同時に教育者であることが求められる生涯学習の時代に、特定のことを知らないのに権力を行使して学習コストを払わずに子供に対して知っているふりをするのは教育者として恥ずかしい振る舞いでしょう。 また、カミングアウトとクロージング問題でマジョリティに属していると思っている自分がそのマジョリティの多様性をも理解するため、理解してもらうために自分の考えたことをネットという公共圏にカミングアウトしていくことは、家の中で恥ずかしいと隠してきたあれこれの諸問題を浮かび上がらせることにつながるし、マジョリティ対マイノリティという構図が崩れてジェンダー秩序をトラブルさせるきっかけにつながるのではないか。 こういうカミングアウトでかかる損失を考慮すると中々厳しいところがあったが、匿名はてなブログのようなメディアによってこういうことが気軽にできるようになった。「子供は要らない」「セックスが面倒」「セックスレス」「高齢者の性」「結婚したくない」「不倫」「ポリアモリー」などといったマジョリティの規範と対峙する思想についても当事者が声を上げていって認知度を上げていくことが、多くの人間にジェンダー学習への興味を抱かせるきっかけになるかもしれない。(1994字) 参考文献
遠藤まめた『先生と親のためのLGBTガイド』合同出版(2016)
坂爪真吾『男子の貞操――僕らの性は、僕らが語る』筑摩書房(2014)
板場良久・池田理知子編著『よくわかるコミュニケーション学』ミネルヴァ書房(2011)
江口聡のブログ「江口某の不如意研究室」セックスの哲学
@MEMEsendai 2015-05-05 18:11:53「性的少数者」とは誰か
書くためのメモ
「性的少数者に対してどのような対応が必要なのか」について、グループワークで出た意見をまとめつつ、あなたの考えを述べなさい。
男女差別とLGBT差別、同和問題、身体・精神障害については人権の一くくりで議論しないとみえてこないことがある。個性を尊重するためには他者と真摯に向き合う親密さが必要であるし、人間の多様性をしり、人間の対立の歴史そしてそれを克服してきた歴史を知るなど膨大な学習を要求される。人権思想は実践道徳であり、これを多くの人間に学習させることは性的少数者に対しての配慮にも当然つながってくる。
子どもとはよく雑談をする(親密さ)
人間いろいろだと思っている。(多様さ)
LGBTという言葉の意味をおおむね知っている。(正確な知識)
「ホモ」「オネエ」「そっち系」などの言葉で笑いをとっていない。
「大人になったら結婚するものだ」という前提で話をしていない。
「男(女)なんだから○○だ」という押しつけをしていない。
(ジェンダー規範を強化する行動をしない。強化しそうな人がいたらそれをデータや理屈で反証する。)
同性愛と性同一性障害の違いを説明できる。(正確な知識)
LGBTだとカミングアウトしている有名人を5人以上あげられる。
LGBTの知人・友人がいる。
LGBTの子どもにカミングアウトされたことがある。
(現状のありさまについて具体的に事例を挙げられること。統計的データのみならず、身近な例でそういうことがあったならそれはさらに説得力がある。)
環境を整えること(シグナリングを出すことでカミングアウトしやすい環境に)
廊下や校内の掲示板などに、LGBTに関するポスターを貼り出している。
図書館や保健室に、LGBTに関する書籍を数点以上蔵書している。
授業中にLGBTについて取り上げる機会がある。
教師同士でLGBTについて話すことができる。
LGBTに関する研修会に教師が参加している。
LGBTであることをカミングアウトされたらきちんと向き合える。
LGBTであることをカミングアウトしている生徒や教師がいる。
ジェンダー論という人権思想の一部分を学習させる機会コストをいかに負担させるかという観点から教育的配慮のあるふるまいをすることが望ましい。
家の中で親として性についてどのような発言をしているか。本当に正義の立場から弾圧できるか。子どもの疑問に答えることができるか。権力を持っている。
善悪二元論 役割分業 ポルノの扱い
売春について
アニメや漫画、小説の性の扱い。
ジェンダー論が学べる本を置く。
細切れの知識のブラッシュアップをどう実現するか。フェミニズムという物語をいかにシェアし、人権思想の一部に位置付けるか。
私は知っている立場だと思い、そのように振舞うかぎり、カミングアウトはされない。コミュニケーションにおける非対称性。
リベラルの立場からはLGBTの立場を肯定するのが当たり前だけれども、例えば保守的立場には少子化対策においてフェミニズム運動を否定することが男女平等を達成できると考える人もいる。そういう考えの多様性に対して立場が違うからといって頭ごなしで否定するのではなく、分からない部分は分からない、理屈で説明できることは理屈で説明するといったルールを課す。時間をかけて学んでもらうため、あらゆる議論について自分の考えを文章にして子供にだけでなく、ネットにもあげて文章に公共性をもたせる。なぜ公共性が必要かというと権力を持った人間が権力をもたない人間に対してフラットに話すことはできないし、対話だと後でいくらでも発言を曲げられるが、文章にしてネットを挙げてしまえば、より知識のある人からも批判をうけることができるからだ。
ツイッターで見られるような立場が違うからブロックするといった政治的なわばり意識を現実世界で(しかも家や学校といった閉鎖空間で)表明するのは、権力を持たない立場やこれから権力を持つ立場の人間に対して教育的配慮が足りない行為である。
家の中だけいえることは権力関係で自分が差別されないからだ。しかし、理由もなく正しいと思っている
カミングアウトとクロージング問題でマジョリティに属していると思っている自分がそのマジョリティの多様性をも理解するため、理解してもらうためにカミングアウトしていくことで、家の中で恥ずかしいと隠してきたあれこれの諸問題を浮かび上がらせることにつながるし、マジョリティ対マイノリティという構図が崩れてジェンダー秩序をトラブルさせるきっかけにつながるのではないか。こういうカミングアウトでかかる損失を考慮すると中々厳しいところがあったが、匿名はてなブログのようなメディアによってこういうことが気軽にできるようになった。
生涯学習の時代において、知らないのに権力を行使して学習コストを払わずに子供に対して知っているふりをするといった教育者として恥ずかしい振る舞いこそ恥じるべきです。