演習の時間でけテぶれをする
通常の授業で「演習時間」というものが取られる
が、通常それは、先生が指定した問題を問いて、先生に提出したり、みんなで順番に答えをいっていき「いいでーす」と声を合わせて、おわり、というもの。間違い直しをする時間が取られずに終わるケースすらある。
けテぶれの文脈でこの状況を解釈すると、
「計画」は先生が設定、「テスト」もやるだけで、丸付けをせずに、おわり。というもの。
table:比較
計画 先生が設定
テスト 自分で問題を解くが、丸付けはしない
分析 しない
練習 しない
学習のサイクルをけテぶれとして見ると、一般的な学校で行われている演習時間は「学習の8分の1」しか経験できていないということになる。これではいつまで立っても学習者として自立できない。
となると、解決案は簡単で、演習時間に「けテぶれ」をすればいい。つまり、問題に取り組んだら、自分で丸付けをして、分析をして、苦手なところを練習する。というところまでを演習時間でやる。ということである。
ポイントは「けテぶれ」という言葉でその行為をくくってしまうということ。「言葉」があると、対象を認識できる。上のような「問題を問いて丸付け、結果を分析、苦手を練習」といった過程は、それらを一括にするコトバがあることで、一つのものとして認識できるようになる。
その授業のポイントを授業で確認したあと、「では、残りの時間でけテぶれをしましょう。」こういうだけで、「学習」という行為を正しく促すことができるようになる。