まえがき
学校教育において教師はよく子どもたちに「自分で考えなさい」という。これは何もかも教えてあげていては子どもたちを自立に向かわせることはできない、という教師の意図が含まれた発言であると想像できる。私もその意図には賛成する一方、立ち止まって考えてみるべきでもあると思っている。
「自分で考えなさい」と言われただけで、子どもたちは “考えるという行為”を本質的な意味で実行できているのか。この関わり方は、朝ごはんをせがむ子供に「自分で料理を作りなさい」とただ言い放つという関わり方と本質的に何か違いはあるだろうか。
「自分で料理をしなさい」と言われた子は、手探りで棚を漁り、自分ができうる限りの努力をして空腹を満たすものを作り出すかもしれない。このような関わりを続ければ、料理の方法について経験的に学びなんとなく自分なりの料理の方法を作り上げるかもしれない。これと同じように「自分で考えなさい」と言われた子は、自分の出来得る限りの思考努力をし、結果を導き出そうとする。その中で「考える」という行為を無意識的、体験的、帰納的に構築するだろう。実際に、多くの人がそうやって無意識のうちに「考える」という行為を会得してきた。
しかし、学校という意図的な教育機関で生み出される学びがこのような“子供任せのプロセス”に頼っていいのだろうか。私はそうは思わない。「自分で料理をしなさい」というからには、基本的な料理の方法について指導し、それに基づいて子どもたちの料理過程にフィードバックをする必要があるのと同じように、「自分で考えなさい」というからには、“基本的な思考の方法”について指導し、それに基づいて子どもたちの思考過程にフィードバックをする必要があると考える。
しかし私が知る限りの公立小学校の現状としては、そのような「基本的な思考の方法についての指導」は行われていない。そればかりか、基本的に“考える”という行為は何をやっているのか、という問いに対して共通の認識すらないように感じられる。そこで私はこの「基本的な思考の方法についての指導」を実現するためにまず「基本的な思考の方法」を定義することがから初めた。それが「QNKS」である。
NEXT