QNKSの限界
ここで注意が必要なのは、「QNKSは広く効果がある方法である」という主張は「QNKSは万能の方法である」という主張とイコールはつながらないという点である。これまで見てきたようにQNKSはその性質上、多くの試行活動に影響を及ぼす考え方である。その意味でQNKSの効果範囲は広い。しかし、その効果の強さに着眼するとQNKSという方法だけを知っている場合と、領域に特化した方法(例えば作文をより良く書ける方法や、革新的なアイディアを出す方法など)を知っている場合とでは、当然“領域特化型”の方法の方が、強い効果を発揮する。よって、効果の強さでみた場合には、QNKSは領域特化型の思考法に比べて「弱い方法」であると言える。
この「効果の強さと、適用範囲の広さ」という点で見ると、「領域特化型の思考法を多く保有するほうが、戦略的に良いのではないか」という問いが浮かぶ。しかし私はこの点を見てもやはりQNKSを提案する価値はあると考える。なぜなら方法として「特化」させるべきなのは、その領域のみならず、個人の特性に対しても特化させるべきだからである。「唯一絶対の勉強方法」が未だに定義されていないのは “領域特化”だけでは絶対解が定義できないからだ。そこには確実に「個人差」という変数が影響する。そしてその変数が大きいからこそ「唯一絶対に正しい勉強法」や「これをやればすべての人がうまくいく作文の方法」が確立されていないのである。
では、この問題にどう対処すればいいのか。絶対解がないのだから、学習者一人ひとりが自分なりの最適解を作り上げるしかない。「自分にとってよりよい方法とはどんな方法か」という問いに対する答えを試行錯誤しながら更新し続けることによってのみ、「領域と個人の間にのみ成立する“狭くて強い方法”」を獲得しうるのである。
すると思考活動における指導者には、よりよい方法を“教えてあげる”という関わりではなく、よりよい方法を“学習者一人ひとりが探し求め作り上げるための支援をする”という関わりが求められるということになる。これが正しいとすれば、指導者が提示できる思考方法とは「広くて弱い方法」であればあるほどいい、ということになる。広く適用できるのなら、それだけ多くの体験から帰納的に考えることができるし、未知の思考活動にも演繹的に対応できるからである。体験的な学習を統合し、個人的な方法を構築するという学びを集団でやる上で、共通の体験を切り取るQNKSという共通言語が効果を発揮するということは前述のとおりである。
「広くて弱いQNKSという思考方法を“合言葉”に、領域と個人に特化した狭くて強い思考方法を“個別に”作り上げる」これが本稿で提案したい学びのあり方である。この点について十分注意深くなった上で、 考える=QNKSとしての紹介へと論を進める。 NEXT