けテぶれとは何か
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けテぶれは実行できないものには使えない。
当たり前だが、「テ」できないとけテぶれできないということ。
ただし、実行可能な対象については極めて大きな効果を発揮する
回転数による自然淘汰を用いた改善
市場原理のようなもの
実行可能な対象にのみ使えるということは、けテぶれの適用範囲は狭いものなのか?
否。これは逆である。
無意識的には世界には「実行可能」な対象は少ない。
けテぶれを用いることで、実行可能なものを増やすということなのである。
けテぶれを使うとき私たちは「テ」をどうしよう?と考える
それこそが「実行可能」にするという行為である
けテぶれが身体化することであらゆる対象を「実行可能」にしてしまうのがけテぶれの本質
そもそも捉えづらいものをまず「実行可能」にし、それによって改善可能にし、目標に向かって回転する
言い換えればあらゆる対象を手続き型知識にして改善可能にすることがけテぶれ
これは葛原の学級経営そのものである
学級は元々実行不可能なものである
葛原自身のけテぶれによって学級を「実行可能」にしたのである
そのツールが心マトリクスやQNKS
もしかしたら手続き型知識がけテぶれ、メタ認知的知識が心マトリクス、宣言型知識と概念操作がQNKSなのかも
例えば心マトリクス
個人の心的事象という本来数値化不可能であり実行不能なものを「実行可能」にし、けテぶれの対象とした
これは正確性という点で言えば心的事象を2軸で表現するという極めて雑な行為である
しかし、有用性の視点で言えば極めて強い。
なぜなら、実行可能であるから
実行可能ということは改善可能ということである
例えばQNKS
QNKSは概念操作である
正しくは概念操作としても使える
けテぶれ自体は概念操作自体はできない
なぜなら概念操作は実行できないから
そこでQNKSである
QNKSはカードを集めてデッキを作る操作である
QNKSは通常困難である概念操作をけテぶれにおいて実行可能にしたものと捉えられる
「QNKSする」をけテぶれすることで「QNKSする」ことがうまくなる。
すなわち概念操作が上達する。
けテぶれは射程の範囲がとても広い
葛原が「あらゆるものはけテぶれになる」というのは当たり前である
「実行可能」なものにけテぶれを使うのではない
けテぶれが使えるように、あらゆる対象を「実行可能」にするのである
それがけテぶれが身体化することの本質である
教師葛原の本質はプラグマティズムである
言い換えれば一回性に対して再現性を見出すことかもしれない
我々の世界で起こる出来事はそもそもが一回性である。再現性はない。
再現可能性の根拠を外的世界に求めるのならばそれは科学である
再現可能性の根拠を自己の内部に求めるのであればそれは自己理解である
葛原実践は自己理解をベースに置くことによってあらゆる現象に再現可能性をもたらそうとしているのではないか?仮説
というか、まなびのコントローラーなどを考えると、自己をベースとした再現可能性を見出しているのは間違いない
言い換えるとけテぶれの定義には二面性があると考えられる
1つは外的世界に再現可能性を見出す行為
これは教科学習である
もう1つは自己の内部に再現可能性を見出す行為
これは心マトリクスであり学級経営である
葛原は構成主義的な知識感を持っている
主観的興味と外的世界の繋がりを担保するのがQNKSのQ
すなわち問いである
ちなみに社会構成主義的な知識感は葛原としてはあまり意識していないと思うが案外やっている
というか構成主義的な知識を構成するために社会構成主義的な知識感が必要だと思ってやってそう
QNKSのNKSである
なぜ構成主義的な知識感を持っているかというと卒業した後にどのような能力を個人内に残せているかこそが教育の価値だと考えているからである
葛原はプラグマティズム
なお、この文章を理解したとして何も得られない可能性が高い