東浩紀『訂正する力』を読んで「葬送のフリーレン」を思い出した話
2024-07-19 facebookに投稿
最近、東浩紀の『訂正する力』という新書を読みました。哲学者とか思想家の雑談みたいな本好きなので2日くらいで通読してしまったのですが、その中に「サブカルチャーの純粋主義」と「老いることは訂正すること」という話があって、おもしろかったので紹介します。
前者は、日本のサブカルチャーでは純粋無垢なストーリーが好まれすぎていて、主人公は軒並み若く、過去の失敗を引き受けながら苦しみもがく中年は描かれないという話、後者は、年齢を重ねれば誰しも変化するのだから、その変化を受け入れ「訂正」すること、純粋さをある意味で諦めて変化を肯定することが必要になる、という話です。東さんは「年老いた主人公がさまざまな挫折を経験しながらどんどん変わっていく。でもずっと同じ人間でもある。完全にリセットして「別人になりました」とはならない。そういう作品がもっと出てきてもいいのではないでしょうか。」と述べています。
こういう小さな雑談を拡張していって、「訂正する力」「訂正可能性」というものが老いの肯定以外にもさまざまな局面で顔を出す重要な概念なのではないか、と主張するのがこの本の趣旨です。それ自体、すごくおもしろいアイデアだと思いました。ただ、趣旨から外れて個人的に思い出したのは、少し前に観たアニメ「葬送のフリーレン」でした。多分、フリーレンを観て上記のくだりを読めば誰でも連想すると思います。 「葬送のフリーレン」の主人公フリーレンは、勇者一行と呼ばれる冒険パーティに所属して魔王を倒した魔法使いで、見た目は若い女性ですが千年以上生きているエルフ、という設定です。彼女は魔法に強く執着する一方で人間には関心がなく、「人間は色々教えてもすぐ死んじゃうじゃん」という冷淡なキャラクターです。冒険パーティの勇者ヒンメルは人間で、フリーレンよりもずっと早く老いて死んでしまうのですが、彼の死後、フリーレンはもっと若い冒険者たちと勇者一行の旅路を辿る新しい旅に出かけ、その心境を少しずつ変化させていく、というお話です。
多分、老いはこの作品の重要なテーマなんだと思います。それがすごく巧妙に肯定的に描かれているのがおもしろいです。まず、老いを扱うのに、長寿のエルフというよくある虚構を採用して、キャラクターの見た目を若いままにしているのがおもしろい。その点では日本のサブカルチャーの純粋主義的形式に乗っかっています。そして秀逸なのは、フリーレン自身のキャラクターは根本的には全然変わらないのに、冷笑的な彼女の人間観が、旅の中で少しずつ変わっていく様子が描かれることです。フリーレンは見た目が若いだけで中身は千年以上生きているから、一つの出来事をきっかけに考え方が劇的に変化するようなことはなく、いわゆる「成長物語」とはおそらく違います。むしろ老いていくことに近い。本質は一貫しているのに、いつの間にか根源的に変わっていく。「葬送のフリーレン」はじつは訂正の物語だったんだなあと思ったわけです。同時に、純粋なものしか語れなくなっていたサブカルチャーを、その形式の内側から訂正しようとする試みですらあるのかもしれない。
若くなくても、すでにアイデンティティを確立していても、変わるし、変われるし、変わっていいのだというのは、すごく勇気がもらえることだと思います。人間もそうだと思うし、科学もきっとそうですよね。