河田勉
https://gyazo.com/6e708f60381e50ca3651eaa9973329a8
1946~2014
以下は、論文などの一次資料が存在しない、かつ「取材」に過ぎないフィクションも混じっているのですが、こんな記事もネットにはあるという例として残しておきます。あるいは彼の名誉の為には削除した方が良いかもしれません。天野真家.icon
訂正情報を書いていただきたいところです 増井俊之.icon
追悼文である点が難しい所です天野真家.icon
夢を見させて置いてあげたい。
2014年11月17日 | 津田建二の取材手帳
株式会社セミコンダクタポータルの前社長で、日本語ワードプロセッサの発明者でもある河田勉氏が永眠されました。Apple社のiPhoneの使い手でもあった同氏は、IT関係のブログをセミコンポータルに提供していただきました。なかでも「ひび割れた画面のスマホを使っている人たち」は、検索などを通じて、いまだに上位に入る人気記事です。
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1971年九州大学修士課程修了、東京芝浦電気(株)(現在の(株)東芝)入社。同社総合研究所情報システム研究所所長、研究開発センター企画担当部長、Advanced-I 事業本部部長、東芝iバリュークリエーション社社長、ネットワークサービス&コンテンツ事業統括長を歴任。
1978 年、世界初の日本語ワードプロセッサ JW-10を開発、今や携帯電話にも搭載されている「かな漢字変換」インターフェースを産み出した。その後も機械翻訳など自然言語処理の研究開発に従事。1995 年より携帯情報機器とインターネット関連の新規事業開発に携わり、ビジネス情報配信サービスの(株)ニューズウォッチやお出かけ情報案内の(株)駅前探険倶楽部などの会社を設立する。2004~2007年、セミコンダクタポータル社長兼任。2007年より同社顧問。 河田氏自身の学会発表
「漢字認識のための漢字大分類の一手法 四辺コード化法」1973年 情報処理学会第14会大会
「濃淡図形量子化の一手法」1974年 電子通信学会研究会 PRL74-41
「漢字認識の後処理としての文脈情報処理」1977年 電子通信学会情報部門全国大会(甲32)
この他、JW-10販売後、部下でハードウェア専門家の相川健と共同開発した、日本語ワードプロセッサのラップトップ版があります。 https://livedoor.blogimg.jp/wp_story/imgs/6/c/6c16e9bb.jpg
恐らく、上図の1983年の試作原型機と呼ばれるものがそれです。青梅工場版の製品とは液晶の大きさが違います。この写真については天野は相川から聞いただけなので確証はないです。
3基作られたはず。金型が700万円前後だったと、相川から聞いています。ちょっと荒いザラザラ感がある見栄えですが、安い金型にしたからとか。
これ以外の物は、彼の夢なのでしょう。
以下は、河田氏のブログ。天野に送られてきたものです。
1974ー1975年のことです。1976年からは別体制で再開となりました。
https://livedoor.blogimg.jp/wp_story/imgs/8/3/83613d30.jpg