1981年
◀1980年 1982年▶
7月情報処理学会シンポジウム「日本文の入力方式」
JW-10発表から3年を過ぎた1981年7月に開かれた情報処理学会シンポジウム「日本文の入力方式」では、それでもまだ、様々な日本語入力方式が提案されていた。
そのくらい、日本語の入力は学界、業界あげての大問題であり、仮名漢字変換は不可能と言えるほどに困難であるとの「常識」が浸透していた。
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一方で、JW-10残務整理の後の1980年以後の天野のアクティビティ
1980年には、京大時代の恩師、坂井利之教授と杉田繁治助教授の著書にある文脈自由文法モデルで、機械翻訳システムのパイロットモデルを開発した。
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1980年の文脈自由文法モデルでの実験を終えると、1981年、企画書を提出、平川秀樹と二人での機械翻訳の研究が始まった。
当時は「極秘」の扱いであった。外部には極秘で新たな研究を始めたのである。
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しかしながら、この後、機械翻訳ブームが勃発。NEC、富士通などが参入した。
日本電子工業振興協会、通称電子協に機械翻訳システム調査専門委員会が作られ、天野は東芝の代表として委員に就任。委員長は京大の恩師、長尾真教授。
1989年、天野が情報処理学会で企画した「大特集 自然言語理解」
このページ冒頭のシンポジウムから大きな発展を遂げている。今、人口に膾炙しているChatGPTなど、生成AIはこの延長上にある。
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