一ノ瀬友博 (2021) 阿蘇をモデル地域とした地域循環共生圏の構築. ランドスケープ研究 85(2), 印刷中.
阿蘇をモデル地域とした地域循環共生圏の構築
Building Regional Circular and Ecological Sphere in Aso, Kumamoto Pref., as a model region
一ノ瀬友博
Tomohiro Ichinose
慶應義塾大学環境情報学部
1.はじめに
地域循環共生圏は、2018年に閣議決定された第五次環境基本計画において初めて提案された考え方である。 この提案を踏まえ独立行政法人環境再生保全機構の環境研究総合推進費では、2019年度から戦略的研究開発領域(II)に地域循環共生圏に関わるテーマが設定された。「阿蘇をモデル地域とした地域循環共生圏の構築と創造的復興に関する研究」(研究代表者島谷幸宏九州大学特命教授)である。本研究は、2012年7月九州北部豪雨と2016年4月熊本地震で大きな被害を受けた阿蘇をモデル地域として、自然災害と生態系の構造・生態系サービスの相互の関係を明らかにし、地域住民と自然との関わりを踏まえて、生態系サービスの活用による暮らしと産業の振興と災害リスクの低減を含む「地域循環共生圏」の視点からの創造的復興のあり方の検討と、その実践にむけた具体的手法の開発を行うことを目的とする8)。
本研究は、3つのテーマによって構成されている。テーマ1は、全体の代表も兼ねる島谷教授が研究代表者である「自然災害と生態系サービスの関係性に基づいた創造的復興に関する研究」、テーマ2は、東海大学市川勉教授が研究代表者である「熊本地震による阿蘇カルデラから熊本地域の地下水を中心とした水循環への影響の評価に関する研究」、そしてテーマ3は、筆者が研究代表者を務める「自然資本と社会関係資本に着目した地域循環共生圏の重層性構築に関する研究」である。それぞれのテーマは、さらに3つのサブテーマによって構成されているため、全体で9つのサブテーマが存在する。本稿では、テーマ3を中心に紹介したい。
2.研究の枠組
(1)阿蘇地域
阿蘇と呼ばれる範囲については、いくつかの考え方があるが、本稿では熊本県が一般的に用いている阿蘇市と阿蘇郡(小国町、南小国町、産山村、高森町、南阿蘇村、西原村)の1市3町3村を阿蘇地域とする。2021年3月現在で、阿蘇市が24,840人、阿蘇郡が33,967人で、合計5万9千人弱の人口を擁する。面積は1,080km2で、その3分の1以上を面積約350km2の阿蘇カルデラが占める。阿蘇カルデラは、カルデラとして世界最大級とされていて、阿蘇市、高森町、南阿蘇村は、その行政範囲の大部分がカルデラに含まれている。阿蘇山は依然として活発に活動する活火山で、カルデラの中央に位置する中岳の噴火口からは火山ガスが噴出されており、時折降灰も見られる。
阿蘇地域は、そのかなりの部分が阿蘇くじゅう国立公園に指定されている。日本で最も古い国立公園の一つで、1934年に指定されたが当時は阿蘇国立公園という名称であった。阿蘇山、九重山などの火山地形がその特徴で、豊富な温泉と湧水に恵まれている。1万年以上人為的に維持管理されてきたのではないかとされている広大な半自然草原は6)、多くの観光客を引きつける景観であり、カルデラ内では稲作をはじめ農業生産も盛んである。火山をはじめとした広大な自然の成り立ちと人によって管理されてきた生態系、その生態系サービスを受けた人々の暮らしのすべてを見ることができる地域であるといえる。2013年に国際連合食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産に認定され、2015年にはユネスコによる世界ジオパークに認定された。現在は、世界文化遺産への認定を目指している。
阿蘇地域は、その成り立ちにも起因するが、水害と土砂災害リスクの高い地域で、加えて火山活動の影響を度々受けてきた。2012年7月の九州北部豪雨では、阿蘇市を中心に大きな被害を受けた。4名が土砂崩れの犠牲となり、カルデラ内の北部を流れる黒川、南部を流れる白川、そして筑後川水系の支流である阿蘇地域の北端となる杖立川で浸水被害が引き起こされた。この豪雨では、阿蘇市で100mmを超える1時間雨量、24時間では500mmを越えるという記録的な豪雨に見舞われ、阿蘇地域全体に数多くの土砂災害をもたらした。その復興途上で、2016年の熊本地震に見舞われることになった。
熊本地震は、2016年4月14日夜に発生した震度7を記録した地震にはじまり、その後熊本県と大分県で相次いで発生した地震の総称である。死者50人、負傷者2809人が記録されているが、関連死は218人にも上っている。被害総額は最大4.6兆円と推計された。5年が経過した本稿執筆時点でも、400名以上の被災者が仮住まいを余儀なくされている。阿蘇地域においては、4月16日の未明に発生した震度7の地震の震源に近い南阿蘇村黒川地区に、東海大学農学部のキャンパスが位置していたこともあり、学生が亡くなるなど大きな被害を受けた。阿蘇市中心部に立地する阿蘇神社の楼門と拝殿が全壊し、度々報道でも取り上げられたが、阿蘇地域における地震の被害は阿蘇山のカルデラの西部から西原村に集中し、他の地域の直接的な被害は限定的であった。しかし、熊本市内から阿蘇地域にアクセスする道路である阿蘇大橋、俵山トンネルが崩落、熊本駅から阿蘇地域南部を経由して大分駅に至る豊肥本線、豊肥本線の立野駅から高森町の高森駅までをつなぐ南阿蘇鉄道が運行不能になり、交通アクセスが著しく困難になった。結果として、阿蘇地域の主要産業の一つである観光への影響は深刻で、2015年に約1590万人であった観光客は、2016年に約990万人まで激減した。その後交通インフラの復旧に伴い徐々に持ち直していたものの2020年春からの新型コロナウィルス感染症拡大が再び大きな影響を与えることになった。
日本全体が人口減少・超高齢化時代を迎える中で、阿蘇地域もその例外ではなく、2050年までに人口の半減が予想されている。自然災害はさらにその人口減少に拍車をかける可能性がある。阿蘇地域に卓越する半自然草原は人間の関与があって初めて成立する景観であり、野焼きがなされる草原の減少に伴い、その面積は年々縮小している。本研究プロジェクトは、熊本地震からの復興と中長期的な阿蘇地域の持続的な発展を地域循環共生圏の考え方に基づき目指そうというものである。
(2)目的とサブテーマの構成
筆者が研究代表者を務める研究プロジェクトのテーマ3では 2012年の水害、2016年の地震から大きな被害を受けた阿蘇を事例対象地域とし地域循環共生圏の圏域の階層性を明らかにし、自然災害や人口減少といった社会的な課題に対し、地域のレジリエンスを高めるためには、圏域内のどのような要因に着目し、その連携をいかに構築するのか、その手法を開発することを最終目標としている。
第二次世界大戦以前の農村地域では人々の地域生活圏は現在の小学校区ぐらいの範囲であり、人々の居住と労働、そして物資の流通、循環も大部分が狭い地域生活圏で完結していた。また、コミュニティの自助・共助も強固で、現在では自治体が提供している公共サービスとされるものの多くがコミュニティによって担われてきた5)。それが、急速な社会経済活動の変化とともに、農家であっても兼業として外部で就業をしたり、教育については地域外への進学が一般化し、流通、物質の循環もグローバル化するなど、生活の個人化は農村地域においても進行してきた。同時に、地域のコミュニティが担ってきた共同が、「公的部門」と「市場部門」に「外部化」されてきた5)。その結果、災害や人口減少といった外的な影響にさらされた際に、地域のレジリエンスの低下が顕著になってきた。
一方で、東日本大震災においても、被災地と地域外の広域的なコミュニティの繋がりが、大きな復興支援に発展したり3)、熊本県においては地下水の涵養や草原の保全再生を目的とした上下流連携がシステムとして構築されていたり9)と、これまでに見られなかった複合的な連携が形成されてきている。このような新たな連携が既存の自助・共助と複層的に機能することにより、地域のレジリエンスを再び高めることが可能になる。それらは地域循環共生圏の基盤となる社会関係資本であり、自然資本の分布と相まってどのように圏域が形成され、重層的に機能しうるのか明らかにすることが極めて重要である。
以上を踏まえ私たちの研究プロジェクトのテーマ3では、地域の自然資本に基づく経済活動、コミュニティの社会資本関係、バイオマスに着目した物質循環の三つの視点から、地域循環共生圏の圏域を明らかにし、地域のレジリエンスを高める地域循環共生圏の重層性を構築することを目指す。それぞれの概略は以下の通りである。
(ⅰ)阿蘇地域における地域のレジリエンスを高める地域循環共生圏の重層性構築(研究代表者慶應義塾大学一ノ瀬友博)
地域の自然資本に基づく経済活動(農業やエネルギー生産、観光など)に着目し、それぞれの圏域の範囲とその物質・エネルギー循環および社会ネットワークを明らかにし、阿蘇地域における地域のレジリエンスを高める地域循環共生圏の重層性について検討する。さらに、将来の土地利用と人口分布の予測に基づき、自然資本の量や分布が今後どのように変化するのかを分析し、地域のレジリエンスと持続可能性を評価するためのシナリオ分析を行う。
(ⅱ)集落レベル、市町村レベルの復興プロセスと社会関係資本に基づく創造的復興手法の提案(研究代表者熊本大学上野眞也)
集落やそれに関連する種々の地域組織の重層性が、いかに社会関係資本を蓄積し、草原の共有地管理や災害復興過程における共同活動によるレジリエンスの顕在化、道路など公共空間管理に資するローカルルール形成などに社会的な効果を発揮しているのかを明らかにするため、牧野の現地調査、社会関係資本に関する悉皆アンケート調査、インタビューや参与観察、新たな歴史資料の探索などにより調べる。また集落の地域資源管理能力の向上や災害からの創造的復興支援するために、地域住民と研究者でワークショップを開催する。南阿蘇村に、阿蘇研究拠点として研究者が一名常駐する研究ラボを設置する。
(ⅲ)地域が主体となった地産地消型再生可能エネルギー活用と里地・里山再生モデル提示(研究代表者岩手大学原科幸爾)
木質バイオマス利用ゾーニングを行い,それぞれの資源賦存量を把握する。また,木質バイオマス利用を行った場合の森林の防災力・水源涵養力の向上について評価を行う。同時に森林の管理主体と管理体制,地域住民を中心とした事業主体の育成について検討する。さらに,チップや薪など燃料形態の違いに応じた木質バイオマスの収集範囲から,それぞれの木質バイオマス利用にかかる重層的な地域循環共生圏の形成について検討する。
3.これまでに得られている成果の概略
本研究プロジェクトは、2019年度から2021年度までの3年間の予定で進められていて、本稿執筆時点では3年目を迎えている。既に公表された研究成果も多いが、現在進行中の研究の方が多い。ここでは、地域循環共生圏に関わるテーマ3サブテーマ1の研究成果について、その成果の概略を紹介したい。本稿に加え、既に発表されている論文等1,2,4,7)も参照いただきたい。
(1)広域レベルにおける地域循環共生圏の解明
阿蘇地域を中心に形成されている地域循環共生圏を広域的に把握するため、当該地域の自然資本に基づく物質、エネルギー、人の流れについて情報を整理した。まずは、阿蘇流域圏(阿蘇地域を源流とする6つの1級河川の流域圏)における人口動態を捉えるため、上流域から下流域における現在の人口分布と今後見込まれる変化について検討した。流域界については国土数値情報・流域メッシュデータを入手し、国土交通省河川整備基本方針・河川整備計画で用いられた流域区分を参考に各水系を上・中・下流域に分類し、ポリゴンデータを作成した。阿蘇地域が上水源となっている福岡都市圏も分析の対象に加えた。人口については国立社会保障・人口問題研究所の人口推計500mメッシュを採用し、それぞれのメッシュを各水系の流域区分ポリゴンに割り振った。各メッシュに格納されている2015年人口および2050年推計人口を流域区分ポリゴンごとに総計し、また、2015年を基準とした2050年における人口の変化率を算出した。
阿蘇地域の自然資本に基づく物質、エネルギー、人の流れを整理し、当該地域を中心に形成された広域的な地域循環共生圏を模式的に示したものが、図1である。その結果、広域レベルでの地域循環共生圏の範囲はおおよそ阿蘇流域圏が広がる九州北部であることが示された。6つの1級河川の水源地である阿蘇地域は、水資源の供給という、福岡都市圏も含めた流域人口500万人の暮らしを支える重要な役割を担っている。2015年の人口推計データによると、阿蘇地域が位置する上流域の人口は全体の4.4%、中・下流域では47.1%、福岡都市圏についてはひとつの地域で全体の半数を占める48.5%の人口が居住しており、人口が下流域に大きく偏る傾向にあった(濃いグレーの部分)。2050年には2015年人口の91.0%まで減少する見込みであるが、その減少率は人口の少ない上流域で特に顕著であることが示唆された(上流域:49.4%減、中・下流域:16.3%減、福岡都市圏:1.8%増)。人口の不均衡がさらに深刻化することを見据え、下流受益地域が水源地を支援する新たな流域連携の枠組みが求められる。
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図1 阿蘇地域の地域循環共生圏模式図(阿蘇地域から流下する6つの1級河川の流域と福岡・熊本都市圏を含む)
(2)2050年における土地利用のシミュレーション
阿蘇地域の過去の土地利用変遷に基づき、2050年における土地利用を傾向延長的に予測した。シミュレーションには米国クラーク大学が開発したLand Change Modeler for TerrSet 18.31を用いた。過去の土地利用データには1982年に公開された5万分の1現存植生図および2013年に公開された2万5千分の1現存植生図を採用し、200×200mのラスターデータに変換した。土地利用は森林、草原、火山植生、水域、水田、その他耕作地、ゴルフ場、市街地の8つのタイプに分類し、土地利用の変化が最も顕著であった草原から森林への転換についてシミュレーションを実施した。平均標高、平均傾斜角、森林からの距離を説明変数として用い、森林からの距離については距離の再計算とモデルへのフィードバックを5年おきに繰り返した。
過去の土地利用変化に基づき、2050年における土地利用を傾向延長的に予測した結果が図2である。1979年には阿蘇地域の29%を覆っていた草原が2003年には21%にまで減少し、その大部分は森林に置き換えられた。この期間は畜産業の低迷により飼養農家が激減した時期であり、急斜面の多い南郷谷の両斜面や南外輪山、個人所有の小規模原野が点在する山東原野で著しく草原が失われた。斜面の傾斜や標高、森林からの距離を考慮したシミュレーションを実施した結果、これまでの傾向が続くと2050年には2007年時の草原面積の半分以上が失われ、その分布は北外輪山と阿蘇山麓の北斜面に限られることが示唆された。草原が失われるメカニズムは社会経済的な要因によるところも大きく、現在は異なる手法によりモデルの改善を進めている。これまでの傾向が続いた場合、草原を中心とした土地利用がどのように変化するかという予測をベースラインシナリオとし、草原の維持管理をはじめ、阿蘇の文化的景観を保全するための方策を組み込んだシナリオを2つ設定し、それぞれの土地利用もシミュレーションする予定である。
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図2 阿蘇地域の草原と森林の変遷と2050年時点の予測(環境省の現存植生図を用いて分析)
謝辞
本文でも紹介しているように、本稿は環境研究総合推進費JPMEERF19S20530の研究成果の一部である。 また、この研究プロジェクトは、全体の研究代表者である島谷幸宏九州大学特命教授、テーマ2の代表者である市川勉東海大学教授、テーマ3サブテーマ2の代表者である上野眞也熊本大学名誉教授、サブテーマ3の研究代表者である岩手大学原科幸爾准教授、サブテーマ1でともに調査研究を行っている佐々木恵子慶應義塾大学研究員をはじめとした、数多くの共同研究者とともに進めているものである。この場をお借りしてお礼申し上げたい。
補注及び引用文献
1) ヴィルヘルム ヨハネス (2021) 阿蘇の景観と地域社会, ランドスケープ研究, 84(4): 368-371.
2) 一ノ瀬友博 (2021) 地域循環共生圏の重層性, 環境情報科学, 50(2): 印刷中.
3) 一ノ瀬友博 (2013) 撤退する農山村のランドスケープ再編-ソーシャルネットワーキングがつくる新しいコモンズ, 森林環境研究会編, 森林環境2013/地域資源の活かし方, 森林文化協会, pp. 65-74.
4) 原科幸爾・山本信次・伊藤幸男・高野涼・松本一穂 (2020) 阿蘇地域における防災力向上等の多面的付加価値の創出を意図した木質バイオマス利用ゾーニング, 岩手大学農学部演習林報告(51): 79-89.
5) 高橋英博 (2010) 共同の戦後史とゆくえ : 地域生活圏自治への道しるべ, 御茶の水書房.
6) 須賀丈・岡本透・丑丸敦史 (2019) 草地と日本人 : 縄文人からつづく草地利用と生態系, 築地書館.
7) 谷本大樹・田中尚人 (2020) 阿蘇地域における文化的景観の保全方策に関する研究, 土木学会論文集D3(土木計画学), 75(6): I_309-I_316.
9) 嶋田純・上野眞也 (2016) 持続可能な地下水利用に向けた挑戦 : 地下水先進地域熊本からの発信, 成文堂.