授業における学生の意見
授業における学生の意見
学生O:模倣の例でいうとカクテルにツイストという手法がある。クラシックなカクテルを少しアレンジして新しいカクテルを作るという物だが、ツイストによっていろいろなカクテルを生み出すことができるし、自分の個性も表現できる。そもそもカクテルというのは誰かがはじめに作った物が伝播し世界中に広まっている物なので、模倣によって歴史が作られていると言えるのではないか。
学生F: 本日の授業は 創造と模倣 についてでしたが、私も小中高生の頃に好きな漫画の絵をよく模倣していたのを思い出しました。ただ模写するだけなら何も考えずに無心で描くこともできますが、私は美術部だったので、学校行事のために個人でオリジナルのポスターを描かなければいけない時など、構図を考えたり、そもそも何をどんなふうに描くかなど、1からものを作り出す作業にはとても苦労した記憶があります。ただ、この場合1からオリジナルのポスターを作るといっても、自分では誰の真似などしていないつもりでも結局は完全なオリジナルなどではなく、自分が今まで見たもの聞いたものを参考にして、それを自分の手で組み合わせて描いているだけなのだと思います。
しかし、何をするにしても最初は上手な人の行いを真似をして人間は成長していくので、模倣すること自体は悪ではないと思いますし、芸術家や俳優の方々などが知見を広げるために色んな作品を見て、自分の活動にも生かせないか勉強している、というお話はよく聞くので、模倣は勉強の一環と考えることもできるのではないかと思いました。とはいえ、倫理的に?常識的に?やってはいけない模倣というのも存在するわけで、答えはひとつではないので大変興味深い問題であると思いました。
学生I: 発展途上国が先進国の技術を模倣して産業を成長させるということもあるように、多くのことは模倣が必要だと考える。ただし、創造者の権利を守ることもまた、経済産業発展において極めて重要なことであるのでそのバランスが少しでも理解できるよう学んでいきたい。
学生H: 今日の講義を聞いた中で、模倣の動機というのが非常に重要となると感じた。つまり法律に求められるのは、模倣の定義を強固にすることよりも、模倣、またはそれに準ずる行為のきっかけを見出し、きっかけによってその模倣行為を分別していくことである。たとえばピカソの例にとっても、既存の作品の構図や配色、その特徴を”捉え”、ピカソが持つ優れたキュビスムを用いてピカソが既存の作品から感じ取ったことを表現するという模倣活動といえるだろう。講義のなかで出てきたオマージュにこうした模倣は分類され、一つ作品が無数の新しい画法によって文化の発展を支える、まさに法律が目指す文化の発展の保護を十分にピカソの活動は受けるべきであると考える。こうした既存の作品へのリスペクトは絵画だけはなく、音楽にも見られるがやはり、演奏者が持つ感性や技術を既存の作品で表現することで、音楽の発展につながると考えることができる。
他方、オリンピックの当初のロゴの例のように、似たような作品がでたときに、模倣とするか創造と扱うかも、法律は定めなければならない。沢山の模倣からあらゆる技術が発展すると考えるとこの創作も保護されると言えなくもない。しかし、既存の作品を創造した作者の保護もまた法律はしなければならない。既存の作品や技術を保護することは、その作者のアイデンティティを保護するとともに、こうした保護もまた文化の発展を保護するといえると考える。誰かの創作の模倣を無制限に許可し、その創作意思に反する模倣がなされることは、創作者を侮辱し、文化が健全に発展しているとは言えないからである。
創作と模倣は並立し、そして法律が創作者の行為を保護していることが現在の文化の発展につながったと感じた。
学生Hその2: 「模倣なくして創造しようとすることは、木を植えずに林檎を実らせようすることである。」私もたった今こんな言葉を「創造」してみた。知的財産法の講義を受けるときは、この言葉を忘れないように心がけようと思う。わざわざリンゴを選んだのはジョブズ氏の言葉を「模倣」したからだ。