ライフログの効用
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古いアイデアを復活させようとして昔の日記を読んでいたら残念な話を沢山思い出して気分が鬱になってしまったことがあります。Intelの社長だったGordon Bellは、自分の行動すべてを記録するいわゆる「ライフログ」を長年実践して普及をよびかけていますが、嫌な体験を簡単に思い出せるといろいろ不都合があるでしょう。 ライフログ提唱者もこういう問題点については重々認識しているのですが、利点の方が多いのだから我慢すれば良いと考えているようです。 しかし本当に嫌な記憶は完全に忘れてしまう方が良いということは明らかだと思われます。嫌なことを思い出しそうになったらすかさず別のことを考えるといった忘れる! 技術が重要だと私は思っていますし、大抵の人は嫌なことを思い出すのはまっぴらだと思っているでしょうから、単純なライフログが流行することはあまり想像できません。残念な日記などについては「残念タグ」をつけておき、元気なときだけ閲覧できるようにするといった工夫があれば良いのでしょうか。それとも本当に完全にログがついているなら自分の気分も記録されてるはずなので大丈夫なのでしょうか。行動の完全な記録があれば、「きょうはいしゃにいった」を変換しようとするとき、実際の行動に応じて「今日は医者に行った」とか「今日歯医者に行った」と変換できるのでしょうか。いずれにしても、普通に行動をログするだけではあまり意味が無いので様々な工夫が必要になりそうです。