ユビキタスとユニバーサル
性能が良いコンピュータやディスプレイを持っているのに、ウィンドウもメニューもスクロールバーも使わずにキーボードだけを使って四苦八苦しながら仕事をしている人を見たら、「なぜこの人はキーボードだけで仕事をしているのだろう?グラフィカルユーザインタフェース(GUI)を使えばもっと楽に仕事ができるのに」と思わずにはいられないでしょう。現代の人間はパソコンのウィンドウやメニューに慣れているのでこのように感じるわけですが、そういうものを見たことがない人にとってはその感覚を理解できないでしょう。 日常の生活環境でコンピュータがあまり活用されていない状況はこれによく似ています。高性能なコンピュータ・インターネット・各種のセンサやアクチュエータが沢山存在するのに普段の生活でこれらが効果的に利用されていないことは、未来の人間から見れば「何故〜を〜のように使わないの?と」不思議に思われてしまうでしょう。このような状況はコンピュータの新しい使い方の発明によって劇的に改善されるはずです。
コンピュータの進化とユーザインタフェースの変容
シリコンバレーのMountain ViewにはComputer History Museumという博物館があり、世界最初のコンピュータと言われるENIACをはじめとする歴史的コンピュータが沢山展示されています。初期のコンピュータは巨大な制御パネルや複雑そうな装置の塊であり、近寄り難い気配を醸し出しています。比較的最近まで、コンピュータといえばもっぱら特殊な人間が特殊な場所で特殊な用途のために使うものでした。大規模計算が必要な研究者が大型コンピュータセンターに出入りして特殊な数値計算を行なうといった使い方が普通だったのは遠い昔の話ではありません。 http://gyazo.com/cd47753dddd9659436b8a27c14328fe3.png
昔のコンピュータ?
パソコンが出現してからは一般の人間が家庭でも様々な目的でコンピュータを使うようになり、存在が意識されることなくコンピュータが利用される機会も非常に多くなっています。近視の人間が眼鏡を利用するように、速く走れない人間が自動車を使うように、弱点を克服する目的でコンピュータが使われることも多くなってきました。ひと昔前は機械を扱うことを得意とする人間だけがコンピュータを利用していたのに対し、現在はどちらかというと機械の操作を苦手とする人間がコンピュータの最大ターゲットユーザになりつつあり、コンピュータの進化が量的な変化から質的な変化に転換しつつある激動期だといえるでしょう。
コンピュータの使われ方が質的に180度転換しつつあるにもかかわらず、コンピュータを利用する方法に質的な大きな変化は起こっていません。コンピュータの大きさやディスプレイ装置は大きく変化しましたが、創成期のコンピュータの入力装置と現在のパソコンの入力装置は機能的にそれほど違うわけではありません。
ウィンドウやアイコンやメニューを使うグラフィカルユーザインタフェース(GUI)は、1973年にXerox PARC (Palo Alto Research Center)で作られたAltoというワークステーションで最初に実装されました。 http://gyazo.com/96bf4fda6bf46b0f862f9d3c68905016.png
Altoワークステーション
Altoやその後継製品は商品としてはあまり成功しませんでしたが、1979年末にPARCを見学してAltoのGUIに衝撃を受けたSteve Jobsが開発したLisaやMacintoshは商品として大成功し、GUIは世の中に広く知られることになりました。 http://gyazo.com/c0596d8b63d9b9b790d3bb953c5291a7.png
Lisa
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Lisaの画面
微妙な違いはあるものの、1980年代に発売されたLisaやMacintoshの画面や操作インタフェースは現在のパソコンのものと大きく変わるものではありません。コンピュータの速度、メモリやディスクの容量の変化に比べるとインタフェースは驚くほど変化していません。
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NeXTStation
1991年ごろ、私は$4,000で購入したNeXTStationというコンピュータを使っていました。NeXTStationはSteve JobsがAppleを追い出されてから作ったNeXT社で作ったUnixワークステーションです。およそ1000ドット×1000ドットの「メガピクセル」ビットマップディスプレイの上でNeXTstepというウィンドウシステムが動き、Interface BuilderというGUI作成ツールとObjective-Cでアプリを作ったり、Emacsエディタを使ってTeXで論文を書いたり、Diagram!というお絵描きシステムで図表を作成したりしていました。その後NeXT社はAppleに買収され、NeXTstepはMac OS Xとして生まれ変わったわけですが、2014年の私は相変わらずInterface Builderを含むXcode上でObjective-Cでアプリを作ったり、EmacsとTeXで論文を書いたり、Diagram!の後継システムであるOmniGraffleというお絵描きシステムで図表を作成したりしているので、私のコンピュータの使い方は20年以上ほとんど変わっていないことになります。コンピュータ環境はずいぶん進歩したように見えるのに、20年前と違うのはWebブラウザぐらいだというのは情けない話で、これで良いのか根本的に考えてみる必要がある気がします。 コンピュータ利用における真に質的な変化を実現させるためには、現在一般的なキーボードやディスプレイを使うWIMP的な操作体系を一新する必要がありますが、そのようなトレンドが「ユビキタスコンピューティング」という言葉で表現されています。 ユビキタスコンピューティング
コンピュータの小型化やネットワークの進化にともなって、ユビキタスコンピューティングは徐々に現実のものとなりつつあります。スマートフォンやノートパソコンを持ち歩いていろいろな場所や状況で使う「モバイルコンピューティング」(****)は現在極めて普通になっていますし、モバイルコンピューティングの究極の形態として、機器を衣服のように身につけて使う「ウェアラブルコンピュータ」や、人間の体とコンピュータを一体化してしまう「インプランタブルコンピュータ」なども近年よく話題になっています。モバイルコンピューティングやウェアラブルコンピューティングは真のユビキタスコンピューティングに到るまでの途中段階の一形態といえるでしょう。 コンピュータ内部のデータとコンピュータの外の世界のデータや事物は感覚的にかなり異なっており、変換のためには各種の入出力装置が要るのが普通です。レシートに印刷された金額を直接Excelにコピーすることはできません。しかしこれらの間のギャップは工夫次第でかなり小さくすることができます。例えば、紙の上に式を書けば自動的にその右に答が印刷されるようなコンピュータや、英単語を見ただけでその意味を教えてくれるような眼鏡があれば便利でしょう。このように、キーボードやディスプレイのようなコンピュータ専用の装置を利用することなく、コンピュータ内部のデータと現実の事物の間のギャップを最小にして、コンピュータを意識することなく透明な存在として活用するための研究が近年盛んになってきています。このような技術は総称して実世界指向インタフェースと呼ばれています。 自動ドアはセンサやモータで作られた機械ですが、構造について全く知らなくても誰でも使うことができますし、場合によっては存在にすら気付かずに使うこともできます。コンピュータは使いにくいものだと一般に考えられていますが、自動ドアと同じレベルでコンピュータやネットワークを利用できれば素晴らしいことではないでしょうか。たとえば、何かについて知りたいと思ったとき、コンピュータやネットワークのことを全く知らなくてもすぐに調べることができれば便利でしょう。このようなことを可能にするためには様々な実世界指向インタフェースの工夫が必要になります。 http://gyazo.com/498cf3e4b9c769d7aa35299b5c7cf213.png
江戸の長屋
優れた実世界インタフェースが使える状況では江戸の長屋でも快適に暮らせるかもしれません。長屋というものは恐ろしく狭いし/風呂は無いし/トイレは共同だし/楽しいものが何もなくて最悪だと普通は思うでしょうが、以下のような状況で実世界インタフェースが完備していればどうでしょうか? 無線ネットワーク完備
障子のスクリーンにあらゆる情報を表示
神棚のサーバであらゆる情報管理
あちこちのセンサでキーボード入力
完全自動冷暖房
電子書籍を使っているので本棚が要らない
これらに加え、近所に良いレストランやコンビニや風呂屋があれば長屋暮らしも悪くないと思えるのではないでしょうか。
誰もがいつでもどこでもコンピュータやネットワークの資源を活用できるようになるのは時間の問題で、そのための工夫が今後急速に進むでしょう。現在のコンピュータインタフェースはキーボードやディスプレイを使うGUIが主流なので、「ユビキタスコンピューティング」「実世界指向インタフェース」のような概念が提唱されてきたわけですが、実世界でコンピュータを自由に使うことが将来あたりまえになってしまえば、このような言葉が使われる機会は減ってくるでしょう。
将来はあらゆる人間がコンピュータを使うことになるでしょうから、「いつでもどこでも」コンピュータが使えるだけでは不充分で、「いつでもどこでも誰でも」使えるコンピュータが必要になります。装置や住居などを「誰でも」苦労なく使えるように設計する「ユニバーサルデザイン」という考え方が近年重要視されていますが、これはユビキタスコンピューティングの考え方と高い親和性があります。 現在のコンピュータを使うためには沢山のハードルがあります。昔のコンピュータや電卓はスイッチやキーボードだけで操作するようになっていましたから指一本でもなんとか使うことができましたが、近年のコンピュータではGUIが主流になったため、マウスのようなポインティングデバイスを動かしたりクリックしたりする操作ができないとまともに使えないようになってしまいました。このため、手を自由に動かすことができない場合、ダブルクリックができなかったり細かい画面を制御するための微妙なマウス操作が難しかったりするためにGUIを使いこなせないといった問題が発生しています。また、数字や文字のみを出力するような古いタイプのコンピュータは、画面表示のかわりに音声で出力を読み上げることによって、目の見えない人でも比較的簡単に使うことができましたが、GUIベースのシステムは音声読み上げが難しいため目の見えない人には非常に使いにくいものとなってしまいました。このように、インタフェースの進化のためにかえって問題が増えてしまうという傾向が多く見られていました。
現在、ほとんどのコンピュータは若者やビジネスマンを対象に作られており、キーボードやマウスを上手に操作できない人のことはあまり重視されていませんし、目が見えない人や手足が不自由な人のことはさらに考慮されていないことが多いようです。一般的な入出力装置を使用できない場合は特殊な「障害者用」機器を使用する必要がありますが、このような機器は値段が高かったり入手が難しかったりするため広く使われているとはいえません。情報機器が最初からユニバーサルデザインにもとづいて設計されていればこのような問題は発生しなかったはずです。
ところが、近年ユビキタスコンピューティングが一般的になるにつれ、このような状況が改善されつつあるように思われます。モバイルコンピューティングや実世界指向インタフェースのような研究分野において、ユニバーサルデザインに貢献する技術が数多く提案されているからです。現状のウェアラブルコンピュータというものは、特殊な人が特殊な用途に使うものだと思われている気がしますが、ユビキタスコンピューティングの究極の姿はユニバーサルデザインと同じ方向を向いており、「いつでもどこでも誰でも」使える機器を目指しているといえるでしょう。 両手で使うキーボードを使って、固定された机の上の大きなコンピュータ画面を操作する場合と異なり、モバイルコンピューティングで使われる機器には制限がつきものです。持ち歩いて使うタブレットやスマートフォンでは大きな画面は使えませんし、入力装置にも制約があります。歩きながら使ったり満員電車の中で使ったりする場合は、画面を見ることができないかもしれませんし、片手しか使えないかもしれません。このように様々な制限のあるモバイルコンピューティング環境というものは、目や手足が不自由な人の状況と変わりませんから、モバイルコンピューティングのために工夫された入出力装置や手法は、そのままユニバーサルデザインとして通用するものが沢山あります。小さな画面に効果的に情報を表示するための技術は、目の悪い人のための表示手法として使うことができますし、コンピュータを片手で操作するための技術は手足の不自由な人がコンピュータを使うための技術として使うことができます。同じ携帯コンピュータでも、歩きながら使いたいこともあれば机の上で使いたいこともあるでしょう。モバイル環境などいろいろな状況で使えるようにするためには必然的にユニバーサルデザインが普及すると考えられます。
私は携帯電話やスマートフォンのために様々な予測型日本語入力システムを開発してきました。これはもともとペン入力の携帯端末で高速に文章を作成できるようにするために考案したものだったのですが、ペンに限らずどのような入力装置でも効果的に使えるので携帯電話、スマートフォン、パソコンなどあらゆる機械で利用されています。また、この手法を応用して、アライド・ブレインズは肢体障害者用の入力システム「Pete」を開発しました。Peteを使えば、手足に重度の障害があってもWindows上で文章を作成することができます。 http://gyazo.com/86b5bfef609ec7f2fc9d84a42eb89c61.png
PETE
このように、モバイルコンピューティング用に開発された技術がユニバーサルデザインの基礎技術となる例は今後も増えてくると思われます。
新しい技術のためにシステムがユニバーサルでなくなることもあります。発光ダイオード(LED)が発明された当初は赤色のものしか存在しなかったため、点灯/消灯だけで情報提示が行なわれていました。その後緑色LEDや青色LEDが発明されたことにより、LEDであらゆる色を表現できるようになりました。これは喜ばしいことなのですが、色で様々な情報を表現しようとするシステムが出現したため、私のような色盲の人間にとって使いにくいシステムが出現するようになってしまいました。LEDの色(e.g. 黄/橙/緑)によって装置の状態を示す機器がありますが、私にはこれらを区別できないので非常に困ってしまいます。色盲の人間には、電子回路の部品として使われる抵抗のカラーコードを読むこともできませんし、色に関するユニバーサルデザインは様々なシステムで問題になるので、NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構}のような団体が啓蒙活動をしていますが、まだ認識は充分ではないようです。 http://gyazo.com/42b13f94be6f02a11bd08417b9fb6a90.png
抵抗のカラーコード
いわゆる障害のために発生する不幸の多くは人為的な要因によるものであると思われます。抵抗の値が読めなかったり発光ダイオードの色がわからなかったり、人為的な要因によって不幸な状況になることはありますが、秋の紅葉に気付かずに不幸な状況になったりすることはありません。人為的に引き起こされる問題は設計時の注意により解決可能です。
実世界指向インタフェースとユニバーサルデザイン
実世界指向インタフェースの研究は、もともとはコンピュータ画面上での計算環境を普通の紙や机の上でも実現したいといった要求から始まったという面がありますが、特殊な装置を使うことなく、機械やコンピュータの存在を意識せずに直感的にこれらを操作するという考え方は多くの場面で有効です。ドアの前に立つという単純な行動により開く自動ドアは非常に有効な実世界指向インタフェースだといえますし、Suicaをタッチするだけで認証が行なわれる改札口も実世界指向インタフェースの一種です。直感的な操作にもとづく実世界指向インタフェースはコンピュータ操作の様々なハードルを取り除くのに大変効果的で、ユニバーサルデザインに有効です。 よくできた実世界指向インタフェースにもとづくプレゼンテーションシステムでは、表示したい情報を投影面に向けるだけで画面が表示されるでしょう。現状のパソコンとプロジェクタを使う場合は、パソコンを立ち上げて/プレゼンテーションプログラムを立ち上げて/表示したいスライドの入っているファイルを開き/スライドを探して/パソコンをプロジェクタに接続して/...といった多くの操作と労力が必要になってしまうのと対照的です。前者のようなシステムは誰でも簡単に使えると思われるのに対し、現在のコンピュータは利用のハードルがかなり高いといえるでしょう。
実世界指向インタフェースの普及により、無用のハードルはどんどん消滅していくでしょう。電車に乗るとき、従来は自動改札機という機械を納得させるために券売機で切符を購入するという高いハードルがありましたが、Suicaのような機器の導入により、切符を買う手間が不要になってしまいました。Suicaを持っている人ならば駅名の文字を読めなくても/料金の数字を読めなくても/コインを持っていなくても/自由に電車に乗ることができるわけですから、切符に比べるとはるかにユニバーサルになっているといえます。コンピュータやネットワークやセンサ技術の進歩によって、誰もが利用しやすいシステムが出来たことは素晴らしいことです。
ユニバーサルデザインのガイドライン
どのような能力を持つ人に対しても有用であること
人によって様々な使い方ができること
経験/知識/言語/集中度によらず簡単に理解できること
周囲の環境やユーザの感覚能力によらず必要な情報をユーザに伝えられること
誤った操作をしても安全であること
余分な力を必要としないこと
ユーザの様々な姿勢や動作に対応できる大きさや場所があること
これらはあらゆる機器に関する原則ですが、情報機器のインタフェースに対してもそのままあてはまります。これらを常に頭に置いて、ユニバーサルなインタフェースのデザインを行なうことが重要でしょう。
ユニバーサルデザインにもとづいて機器やインタフェースを設計製造するのは一見面倒で余計な金がかかるものだと思われるかもしれませんが、ユニバーサルでない製品を作るよりも広く普及させることが可能になるわけですし、新しい市場の開拓にもつながります。もともとは字が書けない人のために開発されたものだと言われているタイプライタやカーボン紙は、現在はあらゆる人に利用されていますし、電動アシスト自転車は急速に普及が進んでいます。そもそもコンピュータは人間の能力を拡大するために使われるべきものです。高齢者でも/子供でも/機械操作が苦手な人でも/手足に不自由があっても、誰もが自分の能力をコンピュータによって拡大できるようになっていって欲しいものだと思います。 ユビキタスとユニバーサル