視聴メモ(そ):熊野純彦「有限的な生の意味」(2009年度学術俯瞰講義「死すべきものとしての人間-生と死の思想」
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終わりをもつ有限的な生にどうやって意義を持たせるのか? 「どうせ死ぬのになぜ頑張るのか」?
キリスト教的な一つの答え「有限的なものは無限なものに預かることで意味を獲得する」 6:18 私たちの目から見ればすべてのものは過ぎ去るが、(永遠的な)神の目から見れば過ぎ去らない
「神は死んだ」という永遠のリアリティが失われた時代においては説得力が失われるかもしれない
有限的な生を有限的な世界において、意義を与えることができるか?
「「ある」とは何か?」とは何か? 10:30
すべてのものは自分で存在し始めたわけではない
たとえば猫は親から生まれ、人工物は人間が作った
他のものに原因を持たず、必然的に存在するものがあれば、それが「存在そのもの」
過去の答えは「神」
ハイデガーは「神」を持ち出す神学的な答えはいったん拒否する
存在者 ↔︎ 「存在させるもの」(=「存在そのもの)
存在への問いをまず仕上げる 16:30
存在への問いが忘れられてしまう背景にあるものも問題にする
三つの先入見 18:00
存在は最も普遍的な概念である
存在は定義できない
定義とは類 + 種差で行われる
存在が最上位の類概念であるとすると、存在は定義できない
ハイデガーはそうではないと考える
存在者と存在そのものは異なる、という主張
「存在そのもの」は存在するとは言えない
「Sein ist」とは言えない
「椅子とは何か?」「猫とは何か?」などのような存在者への問いは、なんらかの形で答えられる
これに対して「存在への問い」はちゃんと問いとして建てられたこともなかった
ramen.icon哲学史的に見るとこれは言い過ぎなところもあるらしい
「〜とは何か?」という問いが立てられるもの、このような問いの意味を理解しうるもの 25:00
「存在とは何か」と問い、それにより問いの手がかりを持っているもの = Dasein = 現存在
Dasein = 現存在とはその都度私がそれであるもの、その当の存在 近代的には「意識」とか「人間」とか言われてきたものをハイデガーは意識的に避ける
「ある」(意味)の意味を知ってはいないが、なんらかの了解 = 漠然とした存在了解はしている
Daseinの存在の意味をZeitlichkeit(時間性)から明らかにする 29:37
In - der - Welt - sein
in - seinとsein - inは違う
後者は簡単。箪笥の中に衣服がある。
空間の中にものがある
人間(世界内存在)は世界と切り離し難い形で存在する 世界と共犯関係を持つ
単に空間の中にあるわけではない
人間が大地に存在し、2次的に世界と関係を結ぶのではない
世界は人間にとって、異郷・よそよそしいものではなく、故郷(Heimat)である
人間にとって対象は、単なる事物ではない 35:00
すべてのもの(世界内に存在するもの = 存在者)は人の手許にある
物理的に与えられる以前に、道具的に与えられる
ハンマーの例
ramen.iconこの「以前に」という箇所はどのような理屈なのか?
人工物だけなく、自然的なもの、たとえば太陽は灼熱の物体である前に、私たちに光を与え温めるもの
人間にとっての意味づけがなされる
= 故郷
ハンマーは単独で働くのではなく、道具同士の関係(道具連関)のなかで働いていく 40:00
道に転がっている箸やハンマーは「所をえていない」
箸が「所(適所性)をえる」のは食卓においてである
世界が世界であるのは「有意義性」においてである 42:40
このような捉え方は世界の人間化・主観化?
デカルト以来、物体は「延長するもの」のように脱色されて計量化されるものとしてとらえる方向に向かっていた
ハイデガーは、そのような捉え方の前に、使い心地(有意義性)が先
自然的なものが必ずしも人間にとって有意義な形で働くわけではないという点(世界のよそよそしさ)をレヴィナスは批判する 49:00
世界(事物)はその存在において、他者を指示している 53:00
事物がごろっとある = 手前存在 ↔︎ 手許存在
現存在は、常にすでに共同現存在である
他者は不在においてすら、現前している = 「不在の現前」 57:00
1:03:
das Man = (世)人
私は他ならぬこの私として生きているのか?
「ひとごとのような生」を生きているのではないか?
独創的な挨拶など不要
人と同じようにするしかない
eigentlich(本来的) 1:13:
自分が固有のあり方をしている
↔︎ un - eigentlich(非本来的)
(この場面に限定していえば) = das Man
新聞やラジオが人を平均化していく大衆化社会 1:16:
死(tod) 1:18
人は死すべきものである限りで、ひとごとではない固有の生を生きざるをえない
誰も私の代わりに死んでくれないし、誰かの代わりに死ぬことはない
「死一般」ではなく「私が死ぬ」 1:21:
ハイデガーが完全に神から自由であったかはわからないが、直ちに神を語ることを禁ずる